食に求めるものは複雑性の高さだという落合陽一の話で山岡家の味の変化を思い出す

今をときめく落合陽一がyoutubeで食について語っている動画を見た。

落合陽一といえば、ちょっと前にNHKのプロフェッショナルか何かでレトルトカレーの容器にそのままストローを挿して食すというのが話題になっていて、その絵面の強烈さが印象に残っている。

なので、落合陽一は頭がめちゃくちゃいいし自分の研究ができればあとはどうでもいいというような、食に全く興味のない人間なんだろうなと勝手にと思っていたけど、その動画で印象がガラリと変わった。

 

複雑性の高さ

落合陽一が食に求めるものは複雑性だという。これはなるほどなと思う主張だった。

複雑性とはどういうことか。

例えばオレンジジュースも、果物を絞ったものそのままのオレンジジュースとコンビニで売られているオレンジジュースとでは全然違う。

コンビニのものはオレンジ味に食品添加物が加わって味が単一化されている。

一方、果物のオレンジをそのまま絞って作ったオレンジジュースは身の味や皮の味など一言でオレンジと言ってもいろんなものが入り混じった複雑な味がする。複雑だからこそ飽きることがない。

昔ファンタが、オレンジよりオレンジ味!(グレープだったけ?)みたいなキャッチフレーズでCMをやっていたのが思い出される。

確かに味としては初めて味わうと新しいもので美味しかったけれど、単純なものなので知ってしまうともう興味がなくなる。

 

山岡家の味の変化

ぼくの場合ではラーメンでこの感覚が強くある。チェーン店のラーメンはそれなりに美味しいけれど、どこの店もだいたい同じ味だ。一口目でもう味がわかり、それが最後まで続く。同じ美味しい味がずっと続く。

一方、ちゃんと寸胴でその店でスープを作っているラーメン屋は違う。一口目はもちろん美味しい。が、なんで美味しいのかよくわからない。いろんなものが混じり合って美味しさを作っているので、一口じゃわからない。ぼくの舌の許容範囲を超えた情報量なのだ。だから最後までラーメン自体に興味を持って食べられる。

ぼくは美味しいから寸胴のあるラーメン屋に行くし、それに比べてしまうとそれほど美味しくないから寸胴のないラーメン屋には行かないが、言い換えれば複雑性を求めていたのである。

 

ここで書いているけど、ラーメンの山岡家がまさに複雑な味から大量生産の味になってしまって、ぼくにとっては魅力がなくなった。

slices.hatenablog.com

 

 

 

例えば音楽においてもこの複雑性というのはキーワードになると思う。ぼくはドラムを演奏するけれど、ドラムというのはシンプルな楽器なので一番機械に代替されやすい楽器である。DTMというパソコンで作れる音楽の進化で、打ち込みと言われる音楽がどんどん増えている。

ぼくの趣向としてそれは合わないのだが、どうやらそこにもぼくは複雑性を求めているのだろう。機械の正確で単調なリズムより、人間らしい揺らぎのあるリズムの方が好きなのだ。

 

落合氏は複雑性の高いものが好きだけど、そればかりだとその複雑さがわからなくなってしまうかもしれないから単一なもの(グミが好きらしい)も食べるようにしていると言っていた。

そういえばおぎやはぎのどちらかが売れてB5ランクの肉ばかり食うようになってからB5ランクの肉の良さがわからなくなったという話をしていたのを思い出した。

まあぼくの場合は意識しなくても単一なものはコンビニ食で日常的に食べるので、そこの感覚は鈍ることはないだろうなと思う。