被災地に送る千羽鶴はゴミになるからいらないという話

身近な人が困っているときに何か手助けできないかと思うのは自然なことだ。そして、今回のような災害時には、被災者のために力になれればと思うのも自然なことだ。

しかしながら、その気持ちは正しいとしても、実際はうまくいかないということはある。

 

千羽鶴はゴミになるからいらない」

東日本大震災の数年後に僕は知ったのだけど、被災地に千羽鶴がたくさん届き、気持ちはありがたいがそれはただ邪魔で、ゴミになってしまうものだったという。

助けたいという気持ちを千羽鶴として形にしたが、それはただ助ける側の自己満足でしかなかったのだ。ゴミ袋に入れられた大量の折り鶴を見るとその実態が一発でわかる。

 

今回の西日本の記録的大雨被害でもその千羽鶴が話題になっていたり、こんなツイートもあったりした。 

 

助けたいという気持ちは正しいけれど、その気持ちだけでは逆に迷惑になってしまうこともあるのだ。それでいて受け取った方は助けたいという気持ち自体はありがたいから迷惑だとは言いにくい。

そういう難しいバランスになっている。

 

僕も何のためだったか、小学生の時に千羽鶴を折ったような曖昧な記憶がある。何もできない小学生に被災地のことを思って、というような教育としての千羽鶴なのだろうと思う。

今それは必要ないという教育もすべきなのだろう。

ただ、子供は募金などをすることもできないから、被災地のことを考えながら鶴を折るということは行為としてはいいのではないかと思う。

そうやって折った千羽鶴は、普通にその学校の何処かに飾ればいいんだろう。それを見るたびにその鶴を折った時の気持ち被災地のことを考えるはずだ。