自分は楽しんでいるつもりなのに「つまんないの?」と聞かれる人はとりあえず口角をあげればいい

今、オードリー若林正恭の『社会人大学人見知り学部卒業見込み』という本を読んでいる。「わかるなあ」と共感するものがめちゃくちゃある。中でも強く共感したのがこれだ。

比較的無表情のぼくは、昔、所属事務所の打ち上げの最中に「つまんないんだったら帰れよ!」とそこそこ楽しかったのに怒鳴られた。

ぼくも同じような経験がある。会社の飲み会で、飲み会でしか会ったことのないお局的存在の人に「つまんないと思うんだったらなんで来たの!」と怒られたことがある。周りは気心知れた同僚だったからそこそこ楽しかったんだけど。

 

顔面のクオリティーはしょうがない

自分は楽しんでいるつもりでも、それが表情に出ていない場合、はたからみるとその場にあっていない表情であり、それを不快だと思う人がいるというのは僕も30歳を超えてあたりからようやく気がつき始めた。

これはもともと自分がどんな顔をしているか、ということが関係している。

 

最近サッカー日本代表ので活躍した中島翔哉のように「笑い顔」の人というのがいる。本人は笑っているつもりはなかったとしても笑っていると受け取られるような顔の人だ。月亭方正なんかもそうかな。

これに対して「不満顔」という人もいる。本人は無表情のつもりでも不満を持っているように受け取られてしまう顔だ。お笑い芸人のタンポポアゴメガネじゃない方などは多分そうだ。

笑い顔も不満顔もその場にあっていないと悲惨なことになる。真剣な場で「何笑ってるんだよ!」と言われたりするだろうし、楽しい場で「つまんないんだったら帰れ!」と言われるわけだ。本人にそういうつもりはなくても人は見た目で判断するものだ。

その見た目は持って生まれた顔面だから変えられない。そして、どうやら僕は不満顔の顔面を持った人間なのである。

これは顔面のクオリティーの問題なのでもはやしょうがない。諦めるしかないのだ。「顔は変えられないからしょうがない」と早い段階で諦めて対策をすることが必要だ。

 

無理にでも口角を上げれば良い

このことに気がついた僕は、できるだけ表情を明るくするように努力した。イメージは「柔和な表情」。それほど笑っているわけでもなく、優しく微笑んでいるぐらいなイメージ。具体的には口角を上げると良い。最初は違和感があるだろうけれど、無理にでも上げているとだんだん板についてくる。みんな酔っ払っているような場ではそんなにバレない。

加えて、猫背というのも印象が悪い。僕は背が高いのを目立たせたくないので猫背になっていった経緯があるけれど、猫背になるくらいだったら胸をはっておいて目立っていた方がまだ良いらしい。猫背というのも相手に与える印象は悪いようだ。

僕が他人の猫背を見たら「わかるなあ」と共感するけれど、そうでない人は、みっともなさだったり暗い印象を感じるのだ。 

 

おわり

気心知れた仲間の場合はこの点は気にしなくてもいいけれど、僕は、どうしても行かなきゃいけない不特定多数の場で、知らない初対面の人だったり目上の人がいる場合はこの努力をするようになった。

すると話は全然つまらないと思っているし話が合わないなあと思って会話に参加していなかったとしても、それなりに場は問題なく進行するということがわかった。その場で偉そうな人の話を口角を上げて頷いていればいいのだ。

社会では極力本音を出さない方がいい。たくさんの人がいて序列があって場の空気があって、それにまずは合わせておくべきなのだ。でいて本音を出さないのは当然として、その場に合わせた表情というのも必要だということである。本音では真逆のことを思っていたとしても、その場に合わせた表情を作るというのは社会人にとって重要なスキルなのだ。