なぜ人は車の運転で性格が変わるのか?そもそも変わるという表現が間違っている

ベタな話だけど車の運転はその人の性格が現れるなあと思う。

僕は仕事柄、様々な人が運転する車に長時間乗る。長時間というところがポイントだ。長い時間車に乗っていると様々なシチュエーションに出くわす。その対応一つで運転する人の性格が見え隠れする。

というわけで車の運転は人それぞれに違いがあるなあと普段から強く感じている。

 

なぜ人は車の運転で性格が変わるのか?

なぜ人は車の運転で性格が変わるのだろうか?僕が考える答えは、車の運転が極限状況だからだ。不意に危ない運転をしてくる車への対応だったり、自分が眠くなってきてしまった時の対応だったり、車の運転というのはその対応を一歩間違えば死の危険があるものだ。

だからそんな瞬間があった時は、人は死の危険を感じてとっさにマジに反応するのだ。つまりなんのフィルターも通さず生存本能で反応するのだ。だから普段の普通の生活とは人が変わったように見える。それを車に乗ったら性格が変わるという風に表現しているのだ。そうではなくて、生存を脅かされているのでその人の性格の根本の部分が現れるということなのだ。

 

いわば、「無人島で5人、食料も底を尽きた、助けも来ない、いよいよ人肉食うしかないか、殺し合いになるのか、人の本性が現れる時だ」というような極限状態を描くフィクションのような状況なのである。

そんな状況が車の中で起こっているわけである。言い過ぎかもしれないけれども、車の運転が日常に潜む極限状態であることは間違い無いと思う。

普段はそんな極限状態はないから、人を思いやったり人からどう見られているかなど考えて自分を隠すこともできる。極限ではない、つまり余裕があるのだ。余裕があるからこそ人は人を思いやれる。じゃあ余裕がなくなるとどうなるかという話である。車の運転では余裕がなくなる瞬間が多々あるのだ。

 

そもそも変わるという表現が間違っている

だから性格が変わるという表現は正しくない。変わるわけじゃなくて、普段の生活とは状況が全く違うその状況なりの対応をしているだけだ。

その状況というのが極限状況であって、余裕のない状況なのだ。だからもともと根っこにあるものが出てきくる。嘘や飾りなどしている場合ではない状況だからこそ人の本性が出る。

車の運転では、余裕という理性のフィルターを取り去った時の人格が出てくるのだ。

 

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