銀メダルを取るよりも銅メダルの方がいいのかもしれない問題

さて、世間は平昌オリンピックである。今日はフィギュアの羽生が金メダルで棋士の羽生が負けたというややこしいネットニュースが並んでいた。

僕はオリンピックはそんなに興味はない。夏は好きなサッカーを見て、陸上100Mがなんだかんだ気になるという程度のものだ。冬季オリンピックなんて言うとこれまでに中継を見た記憶がない。

とはいえテレビやネットは賑わすので報道で目に入る。平昌オリンピックで日本人のメダルは銀メダルが多いようだ。

オリンピックでいつも思うのは、「銀メダルは世界2位というものすごい成績であるにも関わらず、なんかかわいそうに見える」ということだ。

 

清水宏保の説得力

メダルに関して、オリンピックで金銀銅とすべてのメダルを獲得したことがあるスピードスケートの清水宏保氏がコメントしていてまさにその通りだなと思った。

news.livedoor.com

「銀メダルは悔しいんですよ。金メダルはうれしい、銀はくやしい、そして銅はほっとする」

実際にすべて獲得した人だからこそ説得力がある。それでいて、見ている方もそうだろうなと感じる。銀はなんだかやりきれない気持ちになりそうだ。

 

勝って終わった方がいい

見ている方も銅メダルは「よかったねー」と見れるがそれよりも成績の良いはずの銀メダルだと「惜しかったなー」とちょっとケチがついたような目線も入ってしまう嫌いがある。

「メダル取れた!」という喜びは銅メダルの方がある気がする。銀だとメダルは関係なくて、「1位になれなかった」という印象の方が強く残る。

 

清水宏保のスピードスケートはタイムを競う個人戦だから関係ないけど、サッカーや柔道などのトーナメント形式の競技だと、銀メダルと銅メダルの感情的な差がさらに生まれる気がする。

トーナメント方式の銅メダルは3位決定戦での勝者が獲得する。つまり金メダルと同様に最後に勝ってもらえるメダルなのだ。

3つあるメダルの中で、銀メダルだけは負けてもらえるメダルなのである。ここがまた銀メダルの悲しいところだ。決勝進出すると、「メダル確定!」なんて話にはなるけど、銀は負けて終わるメダルという位置なのである。

清水が言う「ほっとする」もそうだが、銅メダルは最後に勝ってもらえる、ギリギリで奪還したメダルという意味合いがあるから、素直に祝福する気持ちが生まれる。色は関係なく、メダルを取れたことが素晴らし結果だという風に捉えられる。

ちなみに銅は漢字では「金と同じ」と書く。銅が見つかった時代に金と同じ価値があったという話を中学生の修学旅行で坊さんに聞いたような気がする。

 

おわり

さて平昌オリンピックのメダルは今後も増えていくのだろうか。僕は見ないけど、日本人がメダルを取ったと聞くとちょっと嬉しくなる。こういう時に「ああやっぱり日本人なのだなあ」と素朴に思う。