褒めてばっかりじゃしょうがない。『シン・ゴジラ』を見ていて気になった点まとめ

僕は『シン・ゴジラ』は大好きな映画だ。ほとんど手放しに褒めている。とはいえ、気になった点もなくはないので、今日はまとめて書く。

 

最初の不特定多数の一般人の棒読み

映画冒頭では、東京湾に謎のエネルギーが観測され、避難する一般人が描かれる。

ここで描かれていた不特定多数の一般人のセリフが全て棒読みだったのがちょっと引っかかった。

なんだかわからないものに対してとりあえず避難しなければならないという状況、突然の非日常に巻き込まれてちょっとテンションが上がりながら焦りながら、というシーンだ。

まあ音声別撮りなんだろうなという感じで、画面の慌ただしい動きに対して音声には感情がこもっていなかった

映画の最初がこれなので初見では「この映画ハズレかも?」では思ったのを覚えている。

 

台車にでも乗ってるかのように移動するゴジラ

いつもの2足歩行の姿になって鎌倉から再上陸した時のゴジラの歩き方が気になった。

あの巨体でのっしのっしと歩くわけではなく、街中で足場は悪いのにもかかわらず、台車にでも乗ってるかのようにスーッと滑らかに移動していた。

あの巨体ならば、どーんどーんと大きな足音を立てながら尻尾でバランス取りながら二足歩行で来るはずだし、もっと街中の建物をなぎ倒しながらゆっくりと進むはずだ。

しかしゴジラの歩みは意外にも早かったし、足元の建物を壊しながら進むという描写はなかった。音も立てずに滑らかに移動する、実に行儀の良いゴジラだった。上半身の安定感が半端ではなかった。数時間前に初めて二足歩行になったのに、あんな建物だらけのところで滑らかに進みすぎだろう。

尻尾のアングルや足など、間近での描写は迫力があって良かったけど、遠目からは下半身の動きはぼやかされている感じで違和感があった。この辺のCGの限界はまあ、しょうがないか。

 

ハッピーエンドじゃダメ、焼き尽くされる東京が見たかった

これは批評家の東浩紀氏が言っていたことだ。最終的にはゴジラが東京を焼き尽くす姿が見たかったと、それが庵野秀明らしいはずだと言っていて僕もそう思った。

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ゴジラを災害として福島原発事故と捉えるなら、問題提議として「原発が都内にあって爆発してしまったらこういうことになるんだ」というメッセージを込めてゴジラが東京を全て焼き尽くすエンドでも良かったと思う。 

現実にはあんな震災があっても福一の事故があっても変わらなかった日本なのだから、劇中のように「日本はスクラップアンドビルドでのし上がってきた国、才能があるものを集めて本気で頑張れば日本もまだまだやれるんだ!」的な世界観はちょっと楽観的な気がする。

 

ただ、よくよく考えてみるとシン・ゴジラはバッドエンドとも取れると思う。全くうまく行かなそうだったヤシオリ作戦が最後に成功したからハッピーエンドのような気がしていたが、あの世界の未来を考えるとバッドエンドだ。

ゴジラはまだ東京にいるし、進化しそうだし、動き出したら1時間後に核攻撃だ。そうすると関東に住む人はいなくなるだろう。首都機能はまず死んでいるだろうし、地方の土地は高騰するんだろう。そもそも動ける人は日本を出て行くだろう。そうした中でどうやって日本を立て直すのだろうか。

全てを焼き尽くすような絵的に派手な庵野秀明らしいバッドエンドはなかったけど、十分にバッドエンドであり、震災があっても変われなかった日本のこの先を考えさせられる皮肉が込められている。

 

石原さとみ問題はそれほど気にならなかった

シン・ゴジラ』公開時によく言われていたのが石原さとみの演技の問題だ。海外特使として日本にくる彼女のところどころに挟まれる英語が鼻につくと。

僕はそれほど気にならなかった。普通にあるように、「バイリンガルの人がカタカナの時に滑らかな発音をするよなあ」という程度の違和感しかなく、それはつまり役所としては正しいのだと思う。

ただ、英語メインのバイリンガルの人にしては日本語が流暢すぎるからバイリンガル感がなくなり変なバランスだったのかもしれない。

でもこれは重箱の隅を突くようなレベルの話だと思う。ネットではかなり話題になっていた印象だけど、取り立てていうほどでもない気がする。僕は英語は喋れないからわからん。