「人類が小麦に騙された日」から考える個人の幸せのあり方

面白い漫画があった。

togetter.com

人類がまだマンモスを狩っていた時代。狩猟や木ノ実などの採集は不安定な食料だ。そんな中で人類は小麦を育てることを知り豊かになっていったはずである。

小麦を育てられるようになり、どのくらいの食料が確保できるか目どころがつけられるというのは人類としては大きな進歩であったはずである。いわゆる農業革命だ。

けれども、この短い漫画では「人類が小麦に騙された日」として農業革命を扱っている。

人類は小麦を育てて増やすことを知った時から不幸になったのではないかという視点だ。これが歴史の見え方が変わってとても面白かった。

最後に人類が泣き小麦が笑うラストのナレーションがグッとくる。

農耕民が狩猟採集民よりも一般に困難で、満足度の低い生活を余儀なくされた。狩猟採集民は、もっと刺激的に多様な時間を送り、飢えや病気の危険が小さかった。人間は農業革命によって、手に入る食料の総量をたしかに増やすことはできたが、食料の増加は、より良い食生活や、より長い余暇には結びつかなかった。むしろ、人口爆発と飽食のエリート層の誕生につながった。平均的な農耕民は平均的な狩猟採集民よりも苦労して働いたのに、見返りに得られる食べ物は劣っていた。農業革命は史上最大の詐欺だったのだ。

ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』より引用

 https://togetter.com/li/1153735

 

農耕民よりも狩猟採集民の方が幸せ?

狩猟採集民の方が不安定な食料なので生活の満足度は低そうなものだが、平均的な農耕民よりも平均的な狩猟採集民の方が豊かだったようだ。

なぜそうなるのかといえば、狩猟採集民の方が刺激的で多様な生活を送っていたため、飢えや病気の危険が小さかったとのことだ。これが意外だ。狩猟民の方がいつ獲れるかもわからない獲物を探して疲弊していそうなものなのに。

でも納得できるのが、「小麦の奴隷」という視点である。農耕民が食料の安定供給を手に入れた代わりに、小麦のためにつきっきりになって世話をする必要があった。ずっと働く必要があったのだろう。

狩猟民はいわば博打のようなもので、一度獲物を得られればしばらくは働かなくても暮らしていける。人口が増えなければ獲物を獲り続けるプレッシャーもないだろう。

小麦を得たことによる農耕民の安定な生活。これを得るためのストレスが農耕民を蝕んでいったのだろう。

 

社畜の構造と同じ

これは現代も同じことが言える。現代の会社員と同じような構造だ。安定的な収入を得るためにみんな会社に入るけれど、それがストレスを生んでいる。会社の奴隷になっているのだ。

安定の収入のため、ちょっとした理不尽くらいならみんな耐えてしまう。「どこも同じだ、社会ってこういうもんだ」なんて自分を慰めて耐えてしまう。このような人を指す社畜なんて言葉も、もうネットだけではなく一般的にも浸透している気がする。

 

安定とは何か

安定というのはとてもいい言葉でそれを目指して日々暮らしているような気もするけど、そのために自分が疲弊しているようなら本末転倒である。

それに安定は本当に幸せなことなのか考えることも必要だ。例えば家を買って定住することが安定だったとしても、その家をローンで買うならば話は変わってくる。

家を買うということは、その場を一生離れられないという縛りを生む。何か災害があった時には「離れられない」という多大なリスクを生むのだ。

これは東日本大震災を経験し、今や北朝鮮のミサイルが飛んでくるかもしれない僕たち現代の日本人は痛感しているところだ。

だからこそ安定とは何かということは考えた方がいいと思う。「人類が小麦に騙された日」が教えてくれた。