ソーシャルネットワークの時代に、本当の友達が誰かわかるとき

評論家の宇野常寛氏が2年半勤めた日本テレビ『スッキリ』のコメンテーターを降板することになったらしい。

表向きは秋の番組改編に伴う人員整理だが、実際のところはその発言に問題があり、日テレでは扱えないとの判断でクビになってしまったわけだ。

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ソーシャルネットワークの時代に、本当の友達が誰かわかるとき

降板する『スッキリ』の放送もあと一回。僕は『スッキリ』は見ていないが、そのあとの宇野氏が自ら運営しているyoutubeの番組『木曜解放区』はよく見ている。

そこで宇野氏が面白いことを言っていた。スッキリをやめることになってからツイッターでの人間関係が変わったのだという。これまで宇野の発言をリツイートなどで擁護してくれていた人の一部が縁を切ってきたのだとか。

つまり日テレ側の人間や、テレビに仕事がある人間はテレビからはじかれる宇野を見限ったのだ。テレビを批判しやめていく宇野を擁護してしまうと自分の立場が危ないと判断したのだろう。実際危ないこともないのかもしれないけど、波風が立つ可能性のあることはしない方がいいとの判断だろう。

これまでは媚びを売るじゃないけど、ソーシャルネットワーク上で宇野氏にカジュアルに交流を深めてきたのに、権力から見放されたらスパッと切る。今回のことで宇野氏が「本当の友達が誰かわかった」と言っていた。

 

 

人間は自分の負担が全くない範囲でなら善行をしたい生き物だというのを何かの本で読んで強く共感したのを覚えている。

人は誰でもいい人に思われたい。ただ、いい人に思われるためになんでもするわけじゃない。自分にほとんど負担がないことだったら、喜んでするのだ。

ソーシャルネットワークのコミュニケーションの中にはほとんど負担なくいいことができるタイミングがたくさんある。画面をタッチするだけで「僕はあなたの味方ですよ」と表明できる。その程度で相手に良い印象を与えられるならみんな喜んでするのだ。

この簡単にできる良いことは、相手に与えたい、助けたいというよりは自分がよく思われたいという欲望の方が大きい場合がある。こっちに肩入れしておいた方が得だぞということでそういうポジションを取るのだ。

こういう場合、友達ではないのは当たり前と言えば当たり前である。

宇野氏の場合はDMなどもっと深いコミュニケーションだと思うからこの限りではないけど、ツイッターなどのソーシャルネットワークのドライで気軽な感じは、もう日常に溶け込んでいるからこそ忘れがちなので改めて使い方を考えなければならないなあと思った。