食レポでエビを食べたらどんな人でも「プリプリ」と言ってしまう説に見る、考え方の話

ちょっと前にTBSの『水曜日のダウンタウン』という番組で「芸人なのにエビの食レポで『プリプリ』使ったら終わり説」というのをやっていた。

これは、食レポのロケだと偽り、芸人たちにエビ料理を食べさせ、その感想で「プリプリ」というワードが出たらビンタするという企画だ。

食レポなどでもオリジナリティーのある発言が問われる芸人ならば、エビ=プリプリなどというありふれた表現をしないはずだという観点からの検証である。

結局のところみんな「プリプリ」というワードを使ってしまっていて、ビンタされまくり。テレビ的にはとても面白い企画だったのを覚えている。

この説の懸賞でわかったことは、芸人のような個性の強い人間でもエビの料理を褒めるときにはその食感の良さを「プリプリ」と表現してしまうということだ。

 

エビをプリプリと表現してしまう問題

なぜ、芸人のような自由な発想で人を笑わすことができる才能を持った人間も、「プリプリ」などというありふれた表現をしてしまうのだろうか。

その答えは、エビが本当に「プリプリ」だからだ。

誰が最初に言ったのかは知らないが、エビの食感は本当に「プリプリ」という言葉がベストな表現なのである。

その表現を1度聞いたならばもう、「それだ!」と心の底から共感してしまう。そしてプリプリという表現があまりにも素晴らしい表現すぎて、いつのまにか自分でも使うようになってしまうのである。

これが言葉の影響力なのだ。

 

ネットスラングも同じ仕組み

2ちゃんねるで生まれるようなネットスラングもこの仕組みだ。端的にその時の気持ちを表現したおもしろい言葉や上手いこと言っている表現は、自分でも使いたくなる。共感が強ければ強いほど、自分でも使いたくなるのだ。意識せずとも知らずに使ってしまうこともあるだろう。

ただ、2ちゃんねるで流行り過ぎたものはメインストリームにも届く。言うならばテレビだ。テレビが2ちゃん用語を扱い始めると、その言葉を生み出した2ちゃんねるは一気に冷めてしまい、その言葉を使わなくなる。

例えば「リア充」なんてもう10年以上前から長いこと使われていたと思うけど、テレビで聞かれるようになってからはすぐにネットでは見なくなった気がする。

ただ、こういうネットスラングよりも人々の共感を得たど真ん中の表現が「エビの食感はプリプリ」という言葉なのだ。

だから、芸人のような個性的な人たちでも使ってしまうのだ。

 

いいアイディアは思考停止を生む

「エビの食感はプリプリ」というのはとてもいい表現である反面、それ以外に表現方法を思いつかないという思考停止状態を生み出してしまう。

それほどに影響力の強い言葉だし、ベストな表現なのだ。プリプリという言葉を聞いたことがあるなら、もうその言葉が頭を離れないだろう。

 

これは物事の考え方についても似たようなことが言える。

ある物事に対してああだこうだと議論がされている時に、その中に自分がしっくりきた意見があるとすると、「それだ!」と思ってしまって自分の頭で考えなくなってしまう。

いいアイディアの先には自分の考えはいらないのだ。

 

今やネットで調べると全世界の人が考え出したいいアイディアというのがすぐに見つかってしまう。もう、答えといってもいいかもしれない。

問題がある時に、自分の頭で考える前に検索してしまえばすぐに答えが見つかる。ものすごく便利であることには変わりはないし助かっているけれど、これを続けていると、自分の頭で考えるというプロセスを失ってしまう。

考えて自分で答えを出すことの楽しさも忘れてしまいそうだ。