久石譲『感動をつくれますか?』 絵画と音楽の決定的な違いとは?

久石譲といえばスタジオジブリの映画の音楽の人、というイメージしかない。ピアノの音が印象的で、耳に残るキャッチーなメロディーを連発するヒットメイカーだ。

天才肌の人なのかなと思っていたが(もちろんそういう部分もある)、この本を読んでみると色々戦略的であり、自覚的にやっている人だった。

『感動をつくれますか?』にはそんな久石譲の音楽との向き合い方が書いてあり、参考になることが多い本だった。

 

久石譲の考え方

久石譲は見た目には物腰柔らかな紳士的な人という印象を受ける。指揮や楽器を演奏している姿もダンディでかっこいい。

とはいえ心には熱いものを持っていて、意外と言っちゃあなんだが非常にバイタリティのある人だった。

社会というシステムの中において、よりよいところを目指すのであれば、その究極はナンバーワンである。オンリーワンであればいい、というのは向上心のかけらもないことだ。もっといえば、その会社から降りる、ドロップアウトすることを意味する。

(中略)

 僕がそういう状況にあったら、絶対社長になってやると思う。そのためにどうやって生きて行くかを考える。一番頭を使うのはそこになる。

途中である程度経験を積んで、「この会社はダメだ。上がバカすぎる」と思ったら自分で会社を興す。

「オンリーワンではなくナンバーワンになれ」とい言っている。非常に前向きでバイタリティのある考え方だ。ビジネス書によく出てくるような感じ。ジブリ映画の音楽のような優しく美しい音楽を作っている人の発言とは思えない。

結果が全てで、ダメだったら自分にすぐに降りかかってくるような厳しい世界で勝ち抜いてきた人の考え方はやはりこうなるのだ。

 

絵画と音楽の決定的な違い

この本で最も僕が面白いと思ったのが、絵画と音楽や映画との違いの話だ。これは久石譲が自身のラジオ番組に解剖学者の養老孟司を招いた時に養老孟司が語ったことらしい。

絵を描く人には変わった人が多いらしく、それには理由があるとの話だった。

 

 養老さんいわく、時間軸と空間軸の中で想像されるものは、みな論理的構造を持っている。どういうことかというと、例えば、言葉は「あ」だけでは意味を成さない。「あいうえお」とか「ありがとう」と連ねることで初めて意味を持つ。本も、文字ー言葉ー文章、そして文脈の連続性のものに書かれる。

 音楽も「ド」の音だけでは意味を持たない。「ドミソ」と音が連らなくては音楽にならない。

 映画も一個一個の映像のシーンが連なることで意味を持つ。

 つまり、音楽も文学も映画なども、時間の経過の上で成り立っているものは、論理的構造を持っているということだ。

 それに比べて、絵は作品が表現するものが見た瞬間にわかる。瞬時に世界を表現できる力がある。時間の経過を伴わない分、論理的なものより感覚的に直に訴える。だから、絵の人は考え方や行動においても、感覚的なものが突出する面が強いらしいのだ。

 

絵画と音楽の違いなんて考えたこともなかったけど、聞いてみるとなるほどそうかと膝を打つ話である。聞いた後では「そんなの当たり前じゃん」なんて思ってしまうし、それほど説得力があって決定的な違いだ。

確かに時間の経過があるものはどうしても順番があるから論理が生まれる。作品を伝える時に積み上げる流れがある。

しかし絵画にはそれがないのだ。前後関係がない。僕は絵には興味がなかったけど、絵画を「瞬時に表現できる芸術」と捉えるとまた興味が湧いてくる。

この話は音楽や映画の成り立ちをより理解するとともに、絵画の魅力を教えてくれた興味深い話だった。

 

おわり

久石譲は作曲家である。ただもちろん楽器も弾けるから、オーケストラでピアノを弾くこともある方だ。僕も動画で見たことがある。

そうやって人前で演奏するときは毎日10時間も練習するらしい。それだけ練習しなければステージに上がる気になれないと。作曲生活のルーティーンもこの本には結構詳しく書いてあるが、相当ストイックな生活を送っている。プロ意識の塊のような人だという印象を受けた。

感動をつくるために、久石譲が考えていることが凝縮されているアツい本だった。