「自分でやらないのにサッカーを見ているだけで何が楽しいの?」と聞かれた時に

たまに、「自分でやらないのにサッカーを見ているだけの何が楽しいの?」というような質問をぶつけてくる人がいる。

この質問を投げかけてくる人は大抵他のスポーツも見ない人だ。なので「君が野球を見て楽しいのと同じだよ」というような簡単な返しは通用しない。

というわけで僕の短い答えとしては「学生時代にサッカーやってたから、自分ができなかったことをやっているのを見れるのは楽しいし感動するから」というようなことを答えている。

これも一つの理由ではあるのだけど、もう少し深い意味合いの、僕がサッカー観戦する理由もある。

 

疑似体験は楽しい

そもそも「楽しいこと=エンターテイメント」というのは疑似体験である。

映画を見てその世界観にどっぶり浸かる。小説を読んで主人公の立場を想像する。少年漫画で純粋な心で大冒険する。ゲームの世界で自分が思うような自分になる。これらは疑似体験だ。

とりわけ映画や小説などは他のエンタメよりも現実でもありうることを題材にしていることが多いから、疑似体験感はより強いと思う。

 

スポーツというのは実際に自分の体を動かす行為だ。自分がスポーツをするというのは疑似体験ではなくて体験だ。

だから自分が体験してきたスポーツを見るというのは疑似体験になる。自分が校庭の土のグラウンドでやっていたサッカーが、綺麗な芝生の大きなスタジアムで大勢の観客が見守る中で行われている。素晴らしい演出の効いた疑似体験なのだ。

つまりスポーツ観戦も他のエンタメと同じというわけだ。人間の脳の同じところが刺激されていると思う。

小説や映画でも、自分の体験に近い題材の方がその作品にのめりこめるし面白く感じることがあると思う。自分には体験のストックがありそれを元に様々な想像力が働くからだ。それと同じことなのだ。

それでいて、スポーツは実際にその場で行われていて、映画や小説のように筋書きは決まっていないドラマだからより面白いという部分もある。

 

疑似体験が必要ない人もいる

世の中にはエンタメを一切必要としない無趣味な人も稀にいる。こういう人は自分の人生で手一杯で疑似体験する必要がない人とも言える。ある意味では本当に幸せな人でもあると思う。

こういう人からすれば疑似体験している僕らは甘ちゃんに見えるだろう。「そんな暇はないはずだ!人生をちゃんと生きているのか!」って説教が飛んできそうである。

でも僕はエンタメで疑似体験したいのだ。実際の人生は心が揺れ動く事ばかりであまりにも消耗する出来事であふれているから、休みの時間くらいはそれを忘れたいのだ。

 

贔屓のサッカークラブに自分の気持ちをのっければ、勝った時は嬉しいし負けた時は悔しい。勝っただけで1日気分が良くなるし、優勝なんてしたなら向こう1年気分がいい。負けるとその逆だ。

ただ、これは疑似体験であるから自分の身にリアルに降りかかってくることではない。勝ったからといって収入が増えるわけでもないし、負けて職を失うわけでもない。

実際にやっている人は死に物狂いだ。勝ち負けが自分の進退に関わってくる世界だ。そしてその本気が伝わってくればくるほど、エンタメとしては一級品だ。

 

日常の隙間に必要なもの

大げさにいってしまえば、僕も勝ったら収入が増えて負けたら職を失うような生活をしている。これは働いている人は誰もがそうだろう。ただ、見えにくいだけなのだ。見えにくいし複雑だし地味だからエンタメとして扱われていないだけだ。

例えば、工場で働くおっさんのテレビドラマなんて存在しない。あったとしても、内容はそれほど仕事にフォーカスしないだろう。見せやすいように恋愛とか心の闇とかがテーマになるだろう。サッカーほど世に溢れるエンタメにはなり得ない。

 

僕たちも、エンタメの世界で本気で戦っている人と同じように、地味ながらも日々戦っている。

そんな日常で消耗しているから、ピッと気楽につけた画面の中で行われている自分とは関係無いけど少し関係あるものを疑似体験して、日常よりも気楽に心を動かしたいのだ。疑似体験なら感動も絶望も割と気楽に訪れる。

現実は生きているだけで感動や絶望であふれていて消耗する。その隙間を埋めるのに疑似体験が適している、救いになっているという話である。