【ボクらの時代】町田康×又吉直樹×竹下澄人。感じたことを素直にわかりやすく表現するのが難しい

5月28日放送の「ボクらの時代」は、芥川賞作家が集まった。町田康又吉直樹、竹下澄人の3人だ。

3人に共通するのは2つの顔があるということ。町田はパンクロッカー、又吉はお笑い芸人、山下は俳優とそれぞれ業界は違うが、表現する仕事だということは共通している。そして小説もそうだ。

なんとなく同じ匂いがするこの3人。なんとも地味な空気が漂う物静かな番組だった。

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普段の生活と表現

淡々とローテンションで交わされる会話の中に、僕がめちゃくちゃ共感する話があった。又吉の話だ。

又吉「友達と音楽のライブ会場に行った時に、普段はすごく無口なのにライブ会場に行くとむちゃくちゃ踊るやつおるんすよ。
それはある意味、普段の生活と表現が一致してないパターンじゃないですか。
でも、やっぱりおとなしくて、恥ずかしいから端っこで見てる、もおるし。それがその表現と言っていいのかはわからないですけど。

僕が多分一番複雑…て言ったらおこがましいかもしれないですけど、普段みんなおとなしいと思ってるから俺は端っこで見てるってみんな思ってるやろうけど、こういう時はいくからねって思うけど、ちょっと照れる、みたいな。だから、それぞれ出方が違う。」

 

町田「どこで爆発するか、ちょっとずつ漏れてるやつもいるし、一気に行くやつもいるし、ライブ会場じゃないやつもいるし」

 

又吉「ちゃんと自分を表現して出し切ってたやつが本物やって言われたら、いや俺も生きてるし納得いかへんというか、その、照れてたけど俺も楽しんでたし、俺のライブでもあったていう思いがあるから、それは後々家帰ってから爆発するというか。なんか、出るポイントの差なのかなあと思う。」

 

又吉のこの話には僕はめちゃめちゃ共感した。感じたことをそのままわかりやすく表現できない難しさというのがある。

こういう時はいくからねって思うけどちょっと照れる」とかほんと共感する。周りが抱いているであろう自分の印象を把握した上で、そうじゃないんだ俺はという思いもあるから、ここいらでその思いを表現しようとするけど、普段やっていないからなんか変な感じになるみたいな。

まあ、気にしすぎてしまうのだ。こういう時はいくからねの時点で考えてしまっている。そういえば昔アメトーークで気にしすぎ芸人ってやってたな。あれは又吉の持ち込み企画だったっけ。

 

普段の自分、他人の印象の中の自分、その場にマッチした態度、その場での他人の印象の中での自分、それを裏切りたい時もある自分。なんか色々と考えてしまう時がある。

一旦理性が挟まってしまう。客観視してしまうのだ。まあ、ざっくり言ってしまえば自意識過剰ということになるのだろうけど。

大人になると人目が気になって本心を素直に表現できない。単純に恥ずかしさもあるけど、本心を我慢しなければならない場面がたくさんあるからだ。社会の人間関係だと我慢しなければならない場面の方が多い。だから、本心の表現を我慢するのが自分の標準になってしまうのだ。本心を隠すことに慣れてしまって、いざ気にしなくてもいいとき、わからなくなる。

加えて、表現者というのは表現について考えるものだし、自分を観察する視点がある。素直に表現する気持ちがなくなったわけじゃないけど、やっぱり考えてしまうということだろう。考えているうちに選択肢がいくつか湧き、行動した時の想像もできてしまう結果、表現の前に色々考え込んでいるのだ。

考えたら最後、表現する時にはどこかぎこちなさが残ってしまうのだ。

 

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