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たまたま聴いたラジオ番組のコーナーに感じた、周りへの過剰な配慮

仕事で長時間の車移動中、どこの局だかもわからないラジオの番組を聴いていた。喋りが板についたラジオパーソナリティがやっているようなタイプではなく、旬の若手ミュージシャンとかがやっているようなゆるいタイプの番組だ。

何の気なしに聞き流していたのだが、ちょっとだけ違和感があった。その違和感についてあれこれ考えていると、過剰な配慮や自主規制に行き着いた。

 

ラジオではコーナーのネタをリスナーに募集していた。ネタの指定は最後に「ドラマかよっ!」と突っ込んで着地する上の句のボケを考えるというもの。

その日に募集してその日の番組後半に読み上げるような、結構ライトなお笑いのコーナーだ。募集する際にまず例題があった。

先生「出欠を取りまーす!船越くん。…船越くん!あれ?船越くんは?」

生徒「崖の上です」

 

「ドラマかよっ!」

うろ覚えだけどこんな感じ。「あーいいですねーこんな感じでネタ募集します!」というふうに明るい声で呼びかけるラジオパーソナリティ

 

まあ笑えるものではないけど(文字にすると特に)、うまいというか綺麗に収まっている感じである。しかし、僕にはちょっと違和感があった。その違和感は何か?

ツッコミワードだ。ツッコミワードに違和感があるのだ。船越、崖の上、とくると「ドラマかよっ!」ではちょっと弱い。少なくとも「2時間ドラマかよっ!」にしてほしいなと思ったのだ。

「ドラマかよっ!」というツッコミを呼び込むボケの例題としてはちょっとしっくりこないなという違和感だった。

 

そこで、僕も例題となるようなボケはないかなと考えてみたのだが、そもそも「ドラマかよっ!」という指定が広すぎてボケが思いつかないことに気がついた。どうやらこのツッコミワードに問題があるのだ。

(一応断っておくと、僕はラジオにネタを投稿したこともないし、テレビで大喜利を見ていても自分でボケを考えるタイプでもない。単に移動中で、それほど退屈だったというだけだ)

ドラマをもうちょっと狭めて、具体的に「2時間ドラマかよっ!」とか、「月9かよっ!」とか「昼ドラかよっ!」くらいにしてくれれば思いつきそうなものなのに。

 

なぜこのラジオのコーナーでは「ドラマかよっ!」というツッコミだったのか。僕はこれは過剰な配慮なのではないかと考えた。

例えば「月9かよっ!」にしてしまうと特定の俳優とかが思い浮かんだりする。昼ドラであれば数少ないテレビ局しかやっていないから具体的にテレビ局が思い浮かぶ。2時間ドラマもそうだ。ドラマよりもう一歩踏み込んで〇〇ドラマにしてしまうと具体的な俳優とかテレビ局等々が思い浮かんでしまう。

で、「月9かよっ!」で募集したとすると、月9を軽く貶すようなネタが来る可能性がある。あるあるネタが多そうだけど、あるあるっていい意味の共感もあるけど、毒づく共感が笑いをそそるものもある。

そんなネタが集まったとしてそれを放送すると、スポンサー的に色々面倒なことが起こるかもしれない。じゃあやんわりと「ドラマかよっ!」にしておこう。

このようにラジオのスタッフは考えたのではないだろうか?

だとするとこれは過剰な配慮である。「こういうことが起こっちゃうかもしれないかな?一応やめておこう」的な。面倒は避けたいのが当たり前のことではあるが、このような周りへの過剰な配慮、ひいては自主規制が面白さを奪っていくのだ。

 

 おわり

難癖も難癖、誇大妄想甚だしいが、僕はこんなことを思いながら運転中の暇な時間を潰していた。最近僕の頭の中に「空気を読む」とか「忖度」とかが巡っているからこんなことを考えてしまったような気がする。

このコーナーにどんなネタが集まるのかは興味があったけど、仕事中だったのでラジオは例題までしか聞けなかった。

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