長嶋有『ジャージの二人』/軽井沢の山荘で父と子で過ごす人生の夏休み

「高温多湿の日本で夏に働くなんて馬鹿のやることだよ」と主人公の父は言い切る。僕はこのセリフが大好きだ。僕も夏はそうやって過ごしたい。

上のセリフは長嶋有の『ジャージの二人』という小説に出てくる。これは10年前くらいの小説だ。僕は一時期、長嶋有にはまっていて、本棚には2〜3冊の長嶋有の小説が並んでいる。最近、10年ぶりに再読してみた。やっぱり面白い。

内容(「BOOK」データベースより)
恒例の「一人避暑」に行く父親と犬のミロにくっついて、五年ぶりに北軽井沢の山荘で過ごす小説家志望の「僕」。東京に残った妻には、他に好きな男がいる。危ういのは父親の三度目の結婚も同じらしい。―かび臭い布団で眠り、炊事に疲れてコンビニを目指す、アンチスローな夏の終わりの山の日々。ゆるゆると流れ出す、「思い」を端正に描く傑作小説。翌年の山荘行きを綴る『ジャージの三人』収録。

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夏は毎年軽井沢で避暑なんて、悠々自適で贅沢な暮らしである。僕の日常からはあまりにもかけ離れていて現実味のない話に思える。

とはいえ、この小説の主人公であるジャージの二人、山荘を訪れるカメラマンの父親と無職の主人公の過ごす夏休みは、凡人の僕とそれほど変わらない淡々とした休暇だ。ジャージを着るくらいの肌寒さのある夏の軽井沢の山荘でゆっくりと過ぎていく時間。

携帯の電波も届かないような自然の中で犬の散歩をしたり、薪を割ったり五右衛門風呂に入ったり、ゆっくりと穏やかな生活を送っているものの、父は三度目の結婚が危うく、主人公の夫婦関係も危うい。さらに父は健康の心配があり、主人公も仕事を辞めてしまったばかりだ。

こんな生活がずっと続いていくとは思えない。そんな宙に浮いたような危うい休暇なのだ。けれどもこの夏は淡々と過ぎていく。まるで人生の夏休みのような、儚い時間のように感じる。

 

ドラマはない。何も起こらない。登場人物は多少の問題を抱えていたり、訳がありそうな人間たちばかりで、いろんなことが起こりそうではあるのだけど。

登場人物はみんなそれぞれに色々なものを抱えて生きている。それはこの本を読む僕だって同じことなのだ。だから、自分と地続きに読める小説である。

少ないセリフの断片から汲み取れる人の心を想像して共感したり考えたりする小説だ。何も起こらないのに最後まで夢中で読めてしまうのは長嶋有の文章力があってこそだろう。

 

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