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【ボクらの時代】ヒロミ×ベッキー×竹山。ヒロミ「紳助さんがいなくなってもテレビは普通に回る」

フジテレビの『ボクらの時代』が久しぶりに当たり回だった。『ボクらの時代』とは3人のゲストがただトークするというシンプルな番組だ。故にゲストによって当たり外れがある。

今回のゲストはヒロミ、ベッキーカンニング竹山のテレビバラエティが主戦場の3人。

ここで交わされたトークで、ヒロミが「紳助さんがいなくなってもテレビは普通に回る」と言ったことが僕の心に残った。そしてヒロミのこの発言で僕は、「自分は会社に雇われているという立場である」ということについて考え込むことになった。

 

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 ヒロミ×ベッキー×竹山

去年1年間は散々な目にあったベッキー。最近になってようやく仕事復帰を果たしているが、まだベッキーを見るとあの不倫騒動がちらつく。あの時まではクリーンで元気ハツラツなキャラクターだったが、今後はそのイメージとは真逆の、不倫のイメージを持ちながらの難しい活動になる。

 

今回の『ボクらの時代』では、ベッキーにとって芸能界の大先輩であるヒロミと事務所の先輩の竹山とのバラエティトーク。ベッキーがホストでヒロミと竹山を呼んだらしい。なぜこの二人なのかといえば、去年のベッキーの謹慎中に支えてくれてた二人だからだという。

繋がりがあって支えてくれたのはもちろんあるのだろうし、さらにテレビ的にも、あの不倫の話題をやんわりとバラエティサイズでお送りできる達者さのある人たちである。

なのでこの3人のトークは、やっぱりベッキーの不倫の話題が中心になるのかと思っていた。けれども、そんな話題は冒頭だけ。

3人のトークは、仕事に臨む姿勢から人生で得た経験則など、とても興味深い話だった。

 

ヒロミ「紳助さんがいなくなってもテレビは普通に回る」

ヒロミは10年間テレビの世界から離れていて最近になってまた戻ってきたタレントである。

テレビの世界を離れてからテレビを見ると、「自分がいなくなってもテレビ番組は普通に回っている」ということを実感したようだ。そして島田紳助がいなくなった時でさえテレビ番組は回っていくのだと気がついたという。これはとても僕の心に残る発言だった。

確かに、島田紳助クラスの芸能人がいなくなってもテレビは何ら変わらずに放送されている。「そんなものなんだな」とちょっと寂しく感じてしまう。

 

芸能界の”席”の話でいうと、狩野英孝の騒動で最近の三村マサカズのこのツイートが思い出される。

このツイートを見た時は、やっぱり芸能界は厳しい世界なのだろうなと思ったが、今回の『ボクらの時代』ヒロミのトークを聞いていると「これって芸能界はそれほど関係ないんじゃないか」と思った。一般社会でもすべての人に代わりはいるのだ。

 

どの世界にも代わりはいくらでもいる

例えば僕の場合で言うと、僕は会社に雇われていて会社の歯車として存在している。当たり前だけれど、代わりのいる存在である。それでも、主張したくなってしまうのが自分の存在意義だ。

以前にこんなことがあった。

 

僕の会社では仕事のできる社員やアルバイトが同時期に何人か辞めていったことがあった。皆会社のやり方に不満を持って辞めていった。僕も会社には不満を持っている方ではあるのだが、同時期に何人も辞めてしまって会社は大丈夫なのだろうかと思っていた。なんせ仕事ができる人たちなのだ。会社が受けるダメージは少なくないんじゃないかと思っていた。

その後しばらく働いていると、やっぱり現場レベルでは仕事がとても大変になった。仕事のできる人が減ったので仕事が遅くなったし品質も下がった。いよいよ会社は危なくなるんじゃないかと思っていた。

しかし会社は今でも普通に回っている。これまでやっていた仕事がなくなったりはしたけれど、その穴にまた新しい仕事が入ってきたりしている。

 

これはどういうことなのかというと、僕個人が現場レベルで品質が下がっているなとか、以前よりも費用対効果が下がったなと感じていても、そんなものは雇う側の会社やサービスを受ける側のクライアントからすれば誤差の範囲だということだ。

つまり現場レベルの歯車たちの仕事の出来る出来ないなんてものは、会社単位であればさほど関係ないことなのだ。いくらでも代わりがいると言える。

まあ、僕の会社のケースであるが、似たようなことはいろんなところで起こっているのではないだろうか。

 

 

ここでヒロミの「紳助さんがいなくなってもテレビは普通に回っていく」という発言に戻る。

現場としては「紳助がいたから面白かった、やりやすかった」と言う意見が多いだろうが、テレビ局(会社)や視聴者(クライアント)からすると、いなくなったらいなくなったで代役が出ていれば気になるほどではない。最初は違和感があるかもしれないが、それで続けばすぐに慣れてしまうだろう。

ヒロミはそういうことを言っているのだと思う。

ヒロミや紳助というものすごく才能の溢れた人でも代わりがいるというの驚きなのだけど、悲しいかなこれは事実なのである。

会社であれば雇われる側、表現の世界ではプレイヤー側に、代わりがいるのだ。

 

代わりがいる世界で

才能がある人、仕事ができる人でも代わりがいるというのはどの世界でも共通する事実なのだ。

ヒロミやベッキーや竹山など才能である人たちですら、自分の代わりがいると思って日々仕事をしている。だからこそ自分が仕事を与えてもらっていることに日々感謝をして働いているのだ。そこにあるのは謙虚さだ。

僕なんかは同じところで長く働いているから「自分はこれだけできる」という自負がある。多少は会社に貢献しているなとか生意気に思っていたりする。しかしこんなことを思うのは間違いなのだ。謙虚さが必要だ。今働いている居場所をもらえていることに感謝すべきである。

 

なんだか社畜の鏡のような結論になってしまった。まさか『ボクらの時代』を見てこんなことを考えるとは思ってもみなかった。

 

 

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