『涼宮ハルヒの憂鬱』に感じたアニメオタクのライン【ライトノベル】

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涼宮ハルヒの憂鬱』という本を読んだ。もはやこのブログで紹介しているほとんどの本がそうなのだが、kindle日替わりセールで激安になっていたのをポチっておいた本である。

最初はポチるか迷ったのだが、社会現象を起こしたアニメの原作であるらしいし、SFファンにも読まれているという点で気になっていたのでポチっておいたのだ。

 

涼宮ハルヒの憂鬱』はオタクのライン

社会現象を起こしたアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』というのは、もう10年以上前のアニメらしい。その原作が谷川流ライトノベルだ。

僕はまったく予備知識なしで読んだ。それでもフラットではなく、多少うがった見方があったかもしれない。「所詮美少女アニメだろ」というような。

 

僕はアニメは好きで見るが、『涼宮ハルヒの憂鬱』が世間でもてはやされていたとき、なんとなく「ラインだな」と思っていた。ラインというのは、アニオタ側であるのか、そうではないのかというオタクのラインだ。

ハルヒを見ている人は、萌え文化とかそっちの方の「その話をしたら急に鼻息荒く喋り出すタイプ」のめんどくさいオタクだという認識があった。完全に偏見なのだが、周りのそういう人がいた。

放送される全てのアニメの第一話はとりあえずチェックするというような重度のアニメオタク。そこに熱狂的に支持されたのが『涼宮ハルヒの憂鬱』。そんなイメージがあった。

 

僕の印象では、このオタクラインよりも一般大衆側に宮崎アニメがあって、ガンダムがあってエヴァンゲリオンがギリギリくらいで、という感じ。

僕にとっては『涼宮ハルヒの憂鬱』はラインの向こう側、重度のアニオタ側の作品なのだ。

 

そんな気がしていたので僕はここまでハルヒをノータッチにしてきた。まあ見る機会もなかったのだけど。

僕は今回ライトノベルというものを初めて読んだと思うのだが、『涼宮ハルヒの憂鬱』は、このような僕のうがった見方を覆すくらいには面白かった。

 

ライトノベル涼宮ハルヒの憂鬱

内容(「BOOK」データベースより)

「ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上」。入学早々、ぶっ飛んだ挨拶をかましてくれた涼宮ハルヒ。そんなSF小説じゃあるまいし…と誰でも思うよな。だけどハルヒは心の底から真剣だったんだ。気づいたときには俺の日常は、すでに超常になっていた―!ビミョーに非日常系学園ストーリー登場。小学上級から。

涼宮ハルヒの憂鬱』は学園SFもので、主人公の一人語りで進む物語。読みやすくて一気に読んでしまった。

本を一冊読み終えるのに一苦労してしまう僕が2〜3時間程度で一気に読めたのは、面白かったと同時に、ライトノベルというだけあってライトだったからだと思う。

まさに小説と漫画の中間という感じだ。ライトノベルとはよく言ったものだなと思う。

 

主人公のキョンの一人語りで進むストーリーは、最初は語り口がうざくて辛かったが、慣れてくると物語の流れが入って来やすくてよかった。そういえば、ここまで1人称だけの小説というのは僕は知らない。

キャラクターはありきたりなテンプレートという感じなのだが(人物というよりキャラクターと言いたくなってしまう。この印象の違いが小説とライトノベルの違いなのかもしれない)、キャラクター自身がそのことを語っているのが面白かった。作中でハルヒ

「学校を舞台にした物語にはね、こういう萌えキャラが一人は必ずいるものなのよ。言い換えれば萌えキャラのあるところに物語は発生するの。これはもはや必然と言っていいわね。いい?みくるちゃんというもともとロリーで気が弱くて、でもグラマーっていう萌え要素を持つ女の子をさらにメイド服で装飾することにより、萌えパワーは飛躍的に増大するわ。どこから見ても萌え記号のかたまりよね。もう勝ったも同然ね」

と語る。アニメやラノベのキャラクターのあざとさを、作中の人物に語らせてしまっているのだ。潔い。この発言が物語の境界線を曖昧にさせていて面白くしていると思う。

 

女の子たちは天真爛漫、萌え要素、クールの三者三様。その中に放りこまれる傍観者、なのになぜか女の子に好かれるタイプの高校生男子の主人公。うーむ、あざとい。しかしこういうものこそアニオタ用アニメという感じ。

 

おわり

オタクのラインの話に戻る。昔は宮崎駿のアニメを見ている人すら「アニメばっかり見て、キモイ」と言われていたらしい。それが今や金曜ロードショーで同じ作品が何度放送されても高視聴率を叩き出している。

昔は漫画もそうだったのだろう。「いい大人が漫画ばかり読んで」的な。今ではそれほどおかしくない。宮崎アニメや漫画は、今では広く受け入れられている。

 

このようなラインは、作品がヒットして動員される人数が増えることで変わっていくのだ。そうして作品が世間の認識を変えていく。市民権を得ていくのだ。

涼宮ハルヒの憂鬱』はこのオタクのラインをまた一歩、世間側に引き寄せた作品なのかもしれない。少なくとも僕にとってはそう言える、面白い作品だった。

 

 

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