「人生やることはやった。後は死ぬだけだ」と熱弁するおじさんについて

年始に、久しぶりに飲み会に出席した。職場つながりの飲み会だ。それほど仲のいい関係というわけでもないのだが、ひょんなことからタイミングが色々と重なり、年始で時間があるということで5〜6人が集まった。

参加者のほどんどは20後半から30中盤の同世代である。まあ話は合うから馬鹿話に花が咲く。僕はもうお酒をほとんど飲まなくなっているが、たまにはこういうのもいいなと思える楽しい飲み会だった。

しかし長い時間飲んでいて皆が出来上がってくると、馬鹿話が口論のようになってきたりもする。その日は、唯一40代で年長者のおじさんがどうやら悪酔いしてしまったようだった。

 

人生やることはやった。後は死ぬだけだ。

その人(以降Aさん)は普段は口数が少ない。寡黙に仕事をこなすタイプの人だ。そして仕事が早い。皆からは尊敬されている。

Aさんはあまり自分の考えを積極的に話すタイプではないが、この飲み会では結構酔っ払っていたようで、自分語りを始めた。

曰く、「俺は人生やることはやった。後は死ぬだけだ。でも、自殺はできないし、親より先に死ぬのは流石に親不孝だから今は惰性で生きている」

まあこれはAさんが酔っ払うといつも言い出す言葉なのである。

これに慣れている僕たちは、いつも通り「Aさんやっぱすごいですねー僕も人生やり尽くすところまでいってみたいですよ」みたいなことを言う。そうするとだいたい収まる。

しかしその日は違った。Aさんは続ける。

「俺はお前らくらいの年に人生遊び尽くした。お前らは今何してんの?全然楽しそうじゃない」

ここまでの僕らの馬鹿話に嫌気がさしていたのかも知れない。ちょっと不満げにAさんは言い放った。この一言で、飲み会が凍りついてしまった。

 

人生経験マウンティング

「何してる時が楽しいの?」とAさんは聞いてくる。皆口々に「まあこうやって酒飲んでる時とか趣味とか」と発言。

しかしAさんは「いやそんなの面白くないでしょ」と言う。こうなってしまうと話は平行線だ。なぜなら楽しい、面白いと感じるものは人それぞれ違うからだ。個人の趣向の問題である。

「例えばここで奇声を発することもできるはずだけど、なんでそういうことしないの?」とAさんは言う。そして午前5時の松屋で奇声を発する。やれやれ、Aさんが面白いと感じることはそういう類のものなのだ。

 

要するにAさんは「自分がやってきたことの方が楽しい、価値がある」と言いたいのだ。俺の人生の方がいい、お前らの人生はつまらんと。これは人生経験マウンティングである。

「人生やり尽くした」と過去をそのように言うだけなら誰でも言えてしまう。僕たちにはAさんの人生を確認しようがない。

それは僕たちの知らないAさんだけの過去であってAさんがそう判断しているだけだから、口の挟みようがない。言ってしまえば過去の話は無敵なのだ。


ここでAさんがヒートアップしてしまい、飲み会の締めであり始発待ちの場だった松屋が修羅場と化してしまった。

 

おわり

Aさんは年長者であるし、仕事面では普段から尊敬できる人だし、話が伸びてしまうと帰れなくなりそうだし、やんわりと話をまとめる方向でその場はなんとか収束した。

「やり尽くした人生の終点がこの場所なんですよね?だったら人生やり尽くさない方がいいですわ」なんて言えなかった。

 

 

 

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