『この世界の片隅に』の主題歌はなぜフォーククルセダーズ「悲しくてやりきれない」だったのか

昨日、無事にこれが届いた。

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この世界の片隅に』の漫画版。映画を見てからすぐにポチっておいたものだ。

まだ読めていないが、パラパラとめくると愛嬌のある主人公のすずちゃんが可愛い。特に目が三本になる表情が素敵。

漫画の表紙絵からは漫画版の方が少し大人びてるのかなと感じていたけど、そんなことはなくアニメと変わらない絵のタッチで可愛いすずちゃんだ。原作を忠実に再現した映画の作画のすごさをまた改めて感じる。

 

とまあこんな風にして映画を見てから僕は『この世界の片隅に』の虜である。仕事中も映画の内容を思い出し、頭の中に「悲しくてやりきれない」が流れ始めて泣きそうになったりしている。

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最初に聴いた時の違和感

これは『この世界の片隅に』の主題歌であり冒頭に流れる曲だ。綺麗な絵とともにこの柔らかな歌声で映画が始まる。今思い返して見ると、冒頭から名作感がビンビン伝わってくるような、とてつもなく美しいオープニングである。

しかし、予告編も見ずに何の前情報もなく、ただ「戦争映画」との認識だけで『この世界の片隅に』を見始めた僕は、この曲が流れた時に少しだけ違和感があったのは事実だ。

 

僕はもちろんこの曲のことは知っていた。フォーククルセダーズの「悲しくてやりきれない」。フォークの名曲だ。

「悲しくて悲しくてとてもやりきれない」と、このメロディーだけはいつの頃からか聞いたことがあったと思うが、僕がこの曲をちゃんと認識したのは映画『パッチギ』の時かもしれない。あの映画は「イムジン河」が主題歌だったがこの曲も流れていた気がする。

 

さて、僕が『この世界の片隅に』でこの名曲「悲しくてやりきれない」を聞いた時に感じた少しの違和感とはなんだったのか。

それは僕の中でのこの曲の位置付けに問題があった。僕は、この曲は若者のモヤモヤを嘆いた歌だと思っていたのだ。もっと言えば、モヤモヤする暇のあるほどには豊かな時代の歌だと理解していたからだ。

これは戦後の曲であるしフォークが盛り上がっていた時代の曲だ。そうやって豊かになっていった時代でも個人個人の悲しみや虚しさはなくなることはないという歌だという認識があった。

 

これ以上ない曲

僕は上で、この曲は豊かになった時代でも感じる個人の悲しさ、虚しさを歌っていると書いた。こうして自分の中でこの歌のことを色々考えて整理していると、映画を見た時に感じた違和感が晴れてきた。

個人の悲しみや虚しさ、これはむしろ『この世界の片隅に』に、これ以上なく当てはまることだ。

 

この映画で描かれるのは、現代の日本とは違い、モノが無く災害のように戦争がある時代。それでも人々は普通に生活している。

その中でも現代と変わらずにあるのは、愚かな歴史として大きく認識してしまうと忘れがちな、個人の気持ちだ。あの戦中でももちろん普通の人たちは生きていたし、個人が感じる悲しさや虚しさは存在したのだ。

この世界の片隅に』はそこを書いた映画である。そこに初めてスポットライトを当てたという価値がある映画である。

 

「悲しくてやりきれない」は時代に関係なく存在する個人の気持ちを歌った歌なのだ。つまりこの映画にとって、どんな曲よりもぴったりな曲だということになる。

この世界の片隅に』を観るまでは考えもしなかった「あの時代の普通の人々の生活」。その人々のことを、より思い返すことになる曲である。

さらにこの歌は自然の美しさも歌われている。それは映画のあの映像とぴったりと合致する。

 

この曲によって、「今の時代もあの時代も、個人の気持ちは変わらない、同じだよ」という、映画で言いたかったことが伝わってくる。

フォーククルセダーズの「悲しくてやりきれない」は『この世界の片隅に』にこれ以上ないほどマッチしている素晴らしい曲だったのだ。

 

 

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