【M-1 2016】敗者復活枠というのは有利すぎやしないだろうか?

f:id:slices:20161207191022j:plain

M-1の2016は面白かった。復活してからようやくヒリヒリした緊張感のあるM-1が戻ってきたという感じだった。来年も期待できる。

ただひとつ気になることがあった。それは敗者復活枠は有利すぎやしないかという点だ。

 

敗者復活枠という演出がもたらすアドバンテージ

漫才のようなそもそも数値で計測できない芸物の賞レースは、単に実力ではなくその日の運も大きく作用する。ネタ披露の順番や、どういう種類の漫才をやる組の後にやるのかとか、審査員の好みなどなど、いろんな要素が絡まってくる。

こうした環境要因の中でも、敗者復活枠というのはおいしすぎるのではないかと思う。

 

事前に決勝進出者は決まっていながら、M-1の本大会が始まっても明かされない敗者復活枠。どんな組が来るのか期待は否が応でも高まる。

そんな中で大会が始まる。芸人はもちろんのこと、会場の観客にも緊張感が漂っている。司会からも審査員からも緊張感が伝わってくる。この緊張感がM-1の醍醐味でもある。

この異様な空気の中、3組の芸人が漫才をする。そしてようやく会場が温まって来たかな、というところでの敗者復活枠発表なのだ。

中継が繋がり、会場と現地でのやり取りが始まる。ここで一時、普通のテレビのバラエティーショーのような感じになる。それに安堵して賞レースの緊張がほぐれて来るような感覚がある。

そして発表では、寒空の中で手を合わせ自分たちの昇格を祈る芸人たち。絵面的にはどの組も応援したくなってしまう。雨が降っても傘をささないで演説する政治家のあざとい人心掌握のテクニックのように見えなくもない。

もちろん芸人たちにそんなあざとさはないと思うのだけど、寒空で祈っている姿が得てしてそういう風に作用して、応援したくなってくるのだ。

また、決勝進出の一組が発表され、決まってからすぐにその足で会場に乗り込んで来るという絵面もいい。なんか高ぶる。応援したくなる。

そして期待と応援ムードになった会場で最後にネタ披露ができる。

 

この敗者復活枠発表の一連の流れの演出というのは、かなりの追い風ではなかろうか。会場を味方につけると思う。

結局のところ笑いなどは数字で判断できるものではないから、あそこで祈っていた芸人たちと、最初から会場で出場を決めている芸人たちの差はそれほどないのだと思う。

同じような実力のある芸人の中で一組だけが敗者復活枠という演出を得ることができる。拮抗している実力のどこか一つにだけアドバンテージがつくのだ。これはどうなんだろうと疑問を持ってしまう。


この敗者復活が決まるまでの3組、特に1組目は辛い。実力があるからこそ決勝の8組に選ばれたのに、そこで運悪く1番を引いてしまったがためにかなり不利になるのだ。

これも運なのだが、ちょっとこの大会の仕組みは考え込んでしまう。

敗者復活して来る芸人の実力に少しの差があればいいのだが、実際はそうでもない。8組選ばれている中の9番目ということだから、差などほとんどないのだ。

 

過去の成績が物語る

過去11回の敗者復活枠の成績を見ると、最終決戦の3組まで残った組はなんと8組。そのうち優勝が2組。過去の歴史は敗者復活の有利さを物語っている。

f:id:slices:20161207190646p:plain

出典:M-1グランプリ - Wikipedia

 

おわり

テレビの仕組みとしては、3組が終わったあたりで敗者復活発表がある流れは素晴らしい。アクセントになる。あれがないと順々に8組のネタを見続けることになる。集中力が持たないかもしれない。

さらには、おまけが一つ残っているという感覚で見られる。お目当のメインディッシュがある中で、何が出るかわからない日替わりのデザートも一品あるよという感じだ。それも頭の片隅で少し楽しみにしながら番組を見ていけるのはいい。


とはいえ、やっぱり敗者復活枠という形式は有利すぎると思うのだ。

テレビ的な絵面はいいものの、会場の応援ムードという追い風と、その中で最後にできるという追い風。かなり大きなアドバンテージだ。実力差のないところへの、かなり大きなアドバンテージなのだ。

 

 

 

slices.hatenablog.com

slices.hatenablog.com

 

 

広告を非表示にする