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ヘタウマの金字塔、作画 湯村輝彦、原作 糸井重里の『情熱のペンギンごはん』を読んでみた

「情熱のペンギンごはん」という古い漫画を読み終えた。原作は糸井重里で作画は湯村輝彦の漫画だ。

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この漫画が発刊されたのは1980年。僕はまだ生まれていない。なぜ僕がこの漫画を知ったのかといえば、BSか何かのサブカルチャー番組をたまたま見たのがきっかけだ。

確かその番組では「ヘタウマ」をテーマにしていた。番組が取り上げるヘタウマの中でもこの湯村輝彦という人物はその第一人者であるらしい。僕は「ヘタウマ」興味があったのでその場でこの漫画をAmazonでポチったのだ。

 

「ヘタウマ」とは何か?

「ヘタウマ」とは何か?下手と上手い、逆の意味をくっつけてしまっている言葉だ。下手と上手い、合わせて普通じゃないかとも思うけど。

ウィキペディアによると

ヘタウマ(ヘタうま、下手巧とも)とは、創作活動(なかんずくサブカルチャー)において技巧の稚拙さ(つまり「ヘタ」)が、かえって個性や味(つまり「ウマい」)となっている様を指す言葉[3]。技術が下手で美術的センス、感覚がうまい、つまり技巧が下手でしかも人を惹きつけて止まない魅力があるものを指す[4]。ただし、稚拙さを技術不足ととるか、計算や個性、あるいは味と捉えるかは、受け手の主観によるところが大きいため明確な定義は存在しない[3]。そのためか「ヘタヘタ」という表現も存在する。

ヘタウマ - Wikipedia

簡単に言ってしまえば、「下手さ加減がかえって魅力的な作品」ということだろう。

世の中には下手な作品というのはいくらでもある。その世の中に溢れかえる下手な作品(素人作品)とは技術的に同じ表現レベルだったとしても、どこか他とは一線を画すのが「ヘタウマ」の作品である。どう一線を画しているのかはうまく言葉にできない。よく「味がある」という表現をする類のものだ。

作品を作るための技術が水準に達していないのにもかかわらず、無視できないというか、独創性があって人の心を掴むものがある。そういうものがヘタウマなのだ。

 

「情熱のペンギンごはん」

読んでいて何度「どういうことなんだよ」と思ったかわからない。湯村輝彦のヘタウマな絵もさることながら、糸井重里の作るストーリーも無茶苦茶だ。カオスである。

ペンギンがなんの脈絡もなく人間を殺したり犯したり、なんかもう無茶苦茶な漫画なんである。

 

子供の落書きのような絵。子供が考えるような意味のないストーリー。ともすれば「その辺の5歳児作」、みたいな感じだけれど、一定の論理性がほんのちょっとだけある。だから最後まで読める。

とにかくくだらない漫画なのだ。そのくだらなさ、子供が作ったような感じを狙ってやっている風でもない。なんだか訳がわからない感じがしてくる。

 

おわり

自分の体をごまスリのすりこぎみたいなのでグニグニとツボ押しみたいなことをされているような感触である。初めて味わう刺激だ。

それでいてその刺激が痛いのか、気持ちいのか、なんだかよくわからない。初めての刺激であることは確かなのだ。

ただ、開いたら読み続けてしまう自分がいる。なんなんだろうこれは。うん、これが「ヘタウマ」なのか。

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