僕が出会ってきたデブたちはいい奴ばかりだった。だから僕はデブが好きだ。

今日、ネットの海でこんなのを読んだ。

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ここで語られているのは僕も常日頃に思っていることだ。それは「やせの大食いはいるけどデブの少食はいない」という事実だ。

その事実から、デブは自分の意思でデブになっていると言えるのだという。ここでは「だから太っているやつを軽蔑する」という結論になっている。

 

僕は言っていることは非常に共感するところなのだけど、結論だけが違った。僕はだからこそデブが好きなのだ。

 

思えば小中高の学生時代、クラス40人ほどの中に必ず一人はデブがいた。僕が出会ってきたデブたちはそのほとんどがいい奴だった。だから僕はデブとすぐに友達になったし、デブが好きになったのだ。

 

いいデブの条件

僕が出会ってきたデブたちはみんないいデブだった。彼らはどういうデブだったか。

デブを自覚しているデブ

まずデブである自分に誇りを持っていること。これが一番大切なことである。自らデブになる道を選んでいるし、これからもデブであり続けるということを選択している勇者であるということだ。

つまり自分がデブだと自覚していて、そんな自分が好きということなのだ。

 

自分をネタにできるデブ

デブであることになんの負い目も感じていないから、自分のデブをネタにできるのだ。そういう奴はいいデブだ。こちらが「デブだな」となんの面白みもないいじりをしても、間髪入れずいろんな言葉が返ってくる。ずっとデブだといじられてきたから、それについての語彙力が豊富なのだ。

 

動けるデブ

誰もが薄々感づいていることかとは思うのだが、結局のところ動けるデブが最強なんである。特に小学生中学生くらいは動けるデブが最強だ。

動けるデブは喧嘩負けなしである。というか喧嘩を売られない。脂肪の鎧によって打たれ強いし、その重量によってパンチは重い。普段から重い体を動かしているので常人とは筋肉量が違う。攻守両面において動けるデブは最強である。

 

おわり

なんにせよ、デブがご飯を食べているのを見ているだけでなんだか幸せな気持ちになってくる。デブの人は温厚な人が多い。一目で欲望に忠実な、純粋な人だとわかる。

僕は人生で太っていたことがない。常にガリガリだった。太ろうと食べまくっていた時期もあるがなかなか太れなかった。

僕にないものを持っている、ということで僕はデブが好きなのかもしれない。

 

 

 

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