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宗教があるからこそ対立があるけど、宗教があるからこそ自由にもなれる。

欧米では日曜日になると教会へ行って祈るのが日課である。子供の頃からそんな環境だから神を信じている人が多い。

趣味で海外サッカーを見る僕は、ゴールを決めた後、そのほとんどの選手が胸で十字をきるのを見ている。そんな時に改めて宗教の存在を感じたりする。

僕にとってはそんな時に改めて気がつく程度にしか宗教が生活には入り込んでいない(と思う)。

 

宗教があってそれに固執するつまらない考えが対立を生んで争いを生んでいる事実もあるけれど、一つ信じているものがあるからこそ、自由になれるのではないかと思う。

 

日本人の企業信仰

どこでも聞く話だけど、日本人は大企業を信じすぎていた。会社にしか生きる場所がなく、その人生のほとんどを会社に捧げてきた時代があった。定年してから何をしていいかわからない老人や、「まだ働ける」と言って後進に道を譲らない老人がいたりする。

その人生のほとんどを会社に捧げてきたので、それが生きがいになって最後まで執着しているのだろう。

 

僕の職場の同僚の父親が、僕でも名前を知っている大企業で働いている。その人は「まだまだ自分は働ける」と言って定年退職をしなかったそうだ。

1人の高給取りが辞めれば失われるものは大きいけど、新人社員を3人くらい雇える。同僚の父親のような人が増えてしまったら、それこそ後進に道を譲ってくれという話になる。新陳代謝できない高齢化社会だ。

キングカズが増えてしまったら、確かに問題なのである↓

slices.hatenablog.com

 

日本人と宗教

日本では無宗教であるがゆえ、会社を信じるということが宗教の代わりになっている面があるのだ。これが企業信仰である。

「入れば人生安泰だから大企業を目指そう」というものではない。企業に入ってから生まれる依存のことをここでは企業信仰と言いたい。

会社に属して時間を追われ働いているうちに、いつの間にか生まれてしまっている奴隷根性に似た感覚。生きていくこと、未来、自分の人生を決めること、いろいろ不安だから会社に依存してしまうのだ。

僕は日本を出たことがないし海外に住んだ経験もないから、妄想の範囲ではあるけれど、こういう感覚って日本人特有のものである気がしてならない。

自分自身で考えることをやめて、周りに合わせてしまうのだ。

 

人はひとりでは生きていけない。拠り所が必要だ。そんな日本人の心の隙間に新興宗教やオカルトが入り込んだりする。それはそもそも日本人に大きな一つの拠り所がないからだろう。

 

おわり

欧米では一つの拠り所としてまず宗教という信じるものがあるからこそ、会社や他の何かに依存しないで生きることができるのではないだろうか。

 

僕はそれほど宗教の力が強くないこの日本に生まれてよかったと思っている。刷り込みがないからフラットに物事を考えられるのではないかと思っている。

これまでは宗教なんてクソ喰らえと思っていた。依存してしまうし、考え方が凝り固まってしまう気がするから。

でも、よくよく考えてみると、一つ強く信じるものがあるからこそ自由になれるのかもなと思ったのだ。

 

 

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