道徳的な攻撃は快感らしいけど、有名人の不倫を批判する人はどこにいるのだろうか。

今年は有名人の不倫騒動を始めとした、道徳が問われるような出来事が相次いでいる。メディアは水を得た魚のように生き生きと報道している。

これだけ事件が多いと大変だ。出来事に対して、コメンテーターや有名人たちの発言が、まるで「考え方の大喜利」のようになっている気がする。

その考え方の大喜利で、しっくりくるものを発見した。

 

浮気騒動を攻め立てる人々について

岡田斗司夫の「有名人の不倫を、なぜ無関係な人々が責めるのか?」というyoutube動画を見た。

www.youtube.co

この動画は橘玲のブログを元としているらしい。というわけでそのブログを読んでみた。

diamond.jp

ここでは浮気についての善悪ではなく、それらの騒動を攻め立てる人々の行動原理について書かれていた。

「道徳」の特徴は、何が不道徳かを知っていても、その理由を説明できないことです。

(中略)

道徳の基準が曖昧だからこそ、他者を断罪するのに自分以外の多くの人間の同調を必要とするのです。

(中略)

他人を道徳的に攻撃すると、脳の快感を司る部位がはげしく活性化することがわかっています。

有名人の不倫を「なんかダメだよね」と漠然と非難し、周りの人間に同意を求めて意見を強くする。そうした一連が快感なのだ。有名人を批判をしていると気持ちがいいのだ。

道徳的な攻撃は「そうしている自分は道徳的に正しい」と思えるから、優越感がある。

かっこ悪いことだなと思うけど、僕もどこかで知らず知らずやっていることだと思う。

そして、これはどうやら人間に備わった動物的な本能のようで、なくなりはしないという。だったらもうしょうがない。

 

批判する人々はどこにいる?

でも、そもそも有名人の不倫について批判的な人っているんだろうか。「不倫はけしからん」とか「謝罪しろ」とか言う人は僕の周りにはいない。

僕の周りの日常会話では、最近の有名人の不倫話が出てきたためしがない。やっぱりそんな話はみんな興味がないのだ。話は自分の仕事とか趣味とかばかりだ。

 

ただ、ここでふと思ったのが、僕のいる世界が狭すぎるのではないかということだ。

そういえば僕は友達が少ない。人当たりが良くない。人と話す機会が少ない。このブログは話し相手がいないから書いているくらいだし、日常会話なんてしていないのだ。

日常会話というか、仲の良い人としか話せない。だから話はかなり狭い範囲での共通話題の情報交換みたいなことしかない。

 

おわり

僕が知らないだけで、実は世間一般の人は、有名人不倫騒動とかに対して熱く語っているのだろうか。居酒屋トークの話題に上っているのだろうか。

熱心に話題にする人がどこかにいるからこそ、いつまでたっても報道はされているんだろうし、週刊文春は売れるのだろう。

 

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