好きこそ物の上手なれ。明石家さんまの「努力は逃げ言葉」発言について

明石家さんまというお笑い怪獣がいる。このお笑い怪獣の「努力は逃げ言葉」という発言が話題になっていた。

 

alfalfalfa.com

努力も死語にしたほうがええよ。努力って普通にするもんやろ生きとったら。行動やろ人としての。努力という言葉は努力していないやつが作りよったんや。逃げやねんこれ。

テレビ番組の「世界まる見え」でこのように語ったらしい。

努力というのはして当たり前であって、「努力した」などと、そもそも発言することすらないはずであるという考えだ。

加えて思うのは、「努力している」と感じた瞬間にその行動は辛くなる。で、辛いことをしても身につかない。そうすると「努力」という言葉自体が邪魔ということになる。

死語にした方がいいという明石家さんまの考えに行き着く。

 

努力について、明石家さんまはラジオでも語っていた。

r25.jp

努力は報われると思う人はダメですね。努力を努力だと思っている人は大体間違い。

こんだけ努力してるのになんで?となると腹がたつやろ。人は見返りを求めるとろくなことがないからね。見返りなしでできる人が一番素敵な人やね。

と語っている。

努力をしたと思ってしまうと、同時に報いを求めてしまう。それが間違いだというのだ。 

この発言でも、努力はして当たり前だという感覚は一貫している。

 

好きこそ物の上手なれ

努力という言葉自体に辛いことというイメージがあるからよくない気がする。これまで生きてきて、努力をして身についたことなんてないような気さえしてくる。

天才アスリートなどのエピソードは、凡人からすれば努力量の次元が違うなと思う。朝から晩まで素振りしただの、毎日走りこんでるだの。

でも天才からすればそれは努力なんかじゃなくてただの「やりたいこと」なのだ。「努力できる才能」なんて言い方もあるけれど、それもちょっと違う気がする。

楽しんだ時のこと、没頭している時のことの方が身につく。「いつの間にかやってしまっていること」が身についているのだ。好きこそ物の上手なれだ。

努力は意識してはいけない、だから死語にしようというのが明石家さんまの考えだ。素晴らしいと思う。