震災から5年、ほぼ日を読んで思ったこと。

東日本大震災から今日で5年。もう5年も経ったのかと思う。

僕も関東に住んでおり震度6を体験した。あのとき、人生で一番の恐怖を感じた。自室にいたのだが、壁の家具がどんどん迫ってくるような、部屋が狭くなっていくような感じがした。ものすごいエネルギーだった。

 

鮮明に覚えていたあの揺れの恐怖も、月日が経つことによって徐々に薄れてきた気がしている。

 

 

3月11日、週の言葉

3月11日の今日は、

「自分は頑張れてるかな?」と確認する日でもあります。

自己評価は「まだまだ」なので、もっと元気に、

面白く、楽しく、頑張っていこうと思います。

———『気仙沼のほぼ日』より

 今週のお言葉は気仙沼のほぼ日からのものだった。>>気仙沼のほぼ日-ほぼ日刊イトイ新聞

今日の記事では、

今日1日は、多くのメディアが「被災地の姿」を伝えますが、明日からは「被災地で起きているできごと」を伝えるメディアはぐっと少なくなります。

とある。

 

 

福島第一発電所へ。

ほぼ日刊イトイ新聞の方では、今、7000人が働く「現場」である福島第一原子力発電所への取材の記事が上がっている。

www.1101.com

現場の実態を前向きに捉えた記事である。

福島第一原子力発電所では、東日本大震災が起こってしまう前までは「発電」を仕事としていた。それが、あの日から変わってしまった。

現在の廃炉作業というのは、原発を終わらせていく作業だ。これまで「発電」に携わっていたベテラン社員よりも、若い社員の方がモチベーション高く働いていると東京電力の所長は語っている。

廃炉作業は終わっていく技術だから若い人が集まらない」と誰かが言っていたけど、現状は東電の若い社員たちは仕事にやりがいを感じているようだ。

この、若い社員たちのモチベーションが続いていけば、と思う。

 

 

この記事でもある通り、「津波さえ来なければ」と本当に思う。補助電源が失われてしまったのはあまりにも情けない理由だ。地下に補助電源を設置していたため、津波にのまれ電源が失われてしまったのだ。補助電源を津波の来ない高台に設置しておけばよかったらしい。

なぜ地下に設置していたのか?それは福一の原発が、アメリカ用のハリケーン対策されたモデルを併用したものだったからだ。>>米国ハリケーン対策をそのまま放置してたら津波に飲まれた福島第一原発のお粗末 - 木走日記

なんとも情けない理由である。

 

 

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