妙なプライドは捨ててしまえばいい。そこから始まるさ

タイトルはMr.Childrenの「名もなき詩」の一節である。

僕が初めて買ったCDがこの「名もなき詩」だった。今現在、大物アーティストですらCDが売れないと嘆く時代、「初めて買ったCDってなあに?」などという会話も成立しなくなっていくのだろうけど。

 

わが思春期のMr.Children

Mr.Childrenに傾倒してた当時、特に歌詞の意味などは気にしていなかった。ただ、巷に流れる音楽よりは何か不良な感じがして、僕の目にはかっこよく写っていた。小学生の頃の話だ。

愛だの恋だの歌っている音楽がやたらと流れていた。特にリアリティがなかったし、内容は似通っているように感じていた。

その中でもMr.Childrenは尖っていた。どこかやさぐれていて世間を諦めていて、斜に構えていてかっこよかった。

周りがはしゃいで傾倒しているものとのカウンターとして好きになってしまった部分もあるのかと思う。その頃から僕はあまのじゃくだったのだろう。

 

妙なプライドは捨ててしまえばいい

Mr.Childrenを聞いていた小・中学生の時には気がつかなかったのだが、20代も後半くらいから、Mr.Childrenの詩が自分の心に突き刺さってくるようになった。当時の桜井和寿さんと同じような年齢になってきたからだろうか。

 

あるがままの心で生きられぬ弱さを
誰かのせいにして過ごしてる
知らぬ間に築いていた
自分らしさの檻の中で
もがいてるなら
僕だってそうなんだ

今でもまっすぐと僕の心をえぐってくる。図星を衝かれた恥ずかしさと、その次に来る仲間意識。桜井さんでもそうなの?って。

何かと理由をつけて、誰かのせいにして自分を守っていることがある。そうしていることで、いつの間にか自分にできないことが増えていっている。妙なプライドが出来上がってしまっているのだ。

 

街の風に吹かれて唄いながら
妙なプライドは捨ててしまえばいい
そこからはじまるさ

そう。妙なプライドってあるのだ。30数年生きてきて、俺はこうじゃない、こういう感じだとかなんとか、なんだかよくわからない思い込みがあるのだ。

いつの間にか自分で境界線を作っている。勝手に自分らしさを作っている。年を重ねるごとにそれに縛られていく。


プライドを曲げられないのは、恥ずかしいからだ。その恥ずかしいことを乗り越えたら、また新しい世界が開けるかもしれない。プライドなんてものは、街の風に吹かれるように、軽い気持ちで捨ててしまえるもののはずなのだ。

今、現在は僕は自由だ。過去は存在しない。未来も存在しない。思いをつらつらとタイピングしている今があるだけなのだ。
ということはどうにでもなれる。これまで形作ってしまったプライドなんて関係ない。まったくの自由なのだ。自由なはずなのだ。

 

おわり

本を読んだり映画を見たりしても素晴らしい言葉に出会える。そこで気がついたことを自分の人生に活かす。

音楽の場合は美しい旋律とともに言葉が入ってくる。聞いた時期には特に意味を感じていなくても、時を経て、ある時急にメロディーと共に言葉が浮かんでくることがある。「あの歌は今のこの気持ちを歌ったものなんだ」っていう風に。

メロディーとともに吐き出される言葉には、自分の人生を重ねやすい。そして自分にとっての大切な言葉になる。

 

 

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