ヤンキーに病弱なやつはいないし、オタクに運動神経抜群なやつはいない。

ふと本屋に入ってビジネス書コーナーにでも行けば、役に立つ考え方の本がずらっと並んでいる。

論理的思考、伝えかた、ゼロ秒思考などなど。キャッチーなタイトルで、あの手この手で人生の役に立つアピールをしている。僕のような弱い人間にはビンビン響く言葉ばかりだ。すぐに買いたくなってしまう。

基本的には考え方がテーマの本が多い。何かというとアタマ、マインドをどう持つかというものだ。意識を変えることが大切だと説いている。

 

だけれども、僕たちは身体を持って考えいている。身体の影響と考え方には強い結びつきがあるはずだ。

ヤンキーに病弱な奴はいないし、オタクに運動神経が抜群なやつはいない。子供も頃から体が丈夫なやつはおおらかに育つし、体の弱いやつは注意深くなるだろう。それぞれの身体の特徴が人格を形成していくのだろうと思う。どういう考えを持った人間になるのかは、身体性が大きく影響する。

 

 

考えは、身体でも環境でも変化する。

例えば僕は今、深夜4時にほろ酔いでパソコンにメモのように書きなぐっているのだが、これが昼間の公園で書いたり、カフェでおしゃれに書いたりするだけで、内容はちょっとづつ変わるだろう。そもそも扱うテーマも変わってくる気がする。


こんな話がある。
僕は音楽をやっているので、作曲をする知人がいる。彼は結婚していて幼い子供がいる。休日は子供につきっきり。平日はもちろん仕事。となれば、趣味の作曲活動は深夜になることが多いそうだ。場合によっては家の中ではうるさいので、車の中でギターを弾きながら曲を作るらしい。

深夜、閉鎖的空間。結果的に暗い曲ばかりが出来上がるらしい。歌詞も暗くなりがちだし、コードもマイナーコード(暗い感じの音階)が増えるとのこと。

「そりゃ1人で深夜にやってたら暗い曲になるよ」と明るい彼は笑いながら言っていた。大きい音を気兼ねなく出せるスタジオに入って、3〜4人でセッションでもやりながら曲を作れば、まったく違う曲ができるだろう。

 

そういう風に僕たちはできている。環境に依存するのだ。そして自分自身の身体すら環境の一つだと思う。

 


散歩でもしてみれば考え方が変わったり、美味しいご飯を食べた後は考え方が変わったり。深い悲しみに出会ったとしても、その何分か後には笑ったりできる。その逆も然りだ。軽薄だなと思いつつも、そうやって生きている。

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