【働きたくない日記】便利になった世の中の行く末に待っているもの

便利になるのは素晴らしいことだ。煩わしさからの解放である。でもそれがいいことなのか、少し考えものではある。

 

人は悲しいくらい忘れていく生き物

不便なものにはストレスを感じる。そのことにとらわれてしまって、頭を使う必要がある。消耗するのだ。

そんな不便だったものが改善されて便利になった時には、以前の不便だったことを忘れてしまう。便利さを当たり前のように享受する。不便で感じていたストレスから解放されたことに感動するのは、最初の数回だけだ。

人は悲しいくらい忘れていく生き物(ミスチル桜井談)である。

 

人間の時間が増える

こうしたことが繰り返されて、少しづつ便利にになって行く世の中。改善に改善が重ねられ、技術革新はどんどん進む。

Googleの共有価値観がそんな感じだった。世の中の煩わしいことは機械に任せて、人間は楽しく暮らそうというやつだ。

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例えば、移動。車の運転は煩わしい。これがなくなればストレスはかなり減るだろう。移動時間になんでもできるようになるだろう。

車の運転に関しては、今でもスマホのおかげでかなり便利に有意義になっている。運転中にラジオやpodcast、オーディオブックなどの音声コンテンツを楽しめる。これらのコンテンツがスマホに集約できるからこそ便利なのである。手のひらサイズの鉄の塊に全てが集約されている。

これが自動運転になれば、映像も楽しめるようになる。デスクワークができる。落ち着いて食事もできる。睡眠をとることができる。今まで家でしかできなかったことの幾つかができるようになる。

つまり、今までよりも時間が増えるということになる。頑張れGoogle、なのである。

 

働かなくてもよくなるまで

今よりもっと便利になったら、煩わしさが減り、考えることが少なくなっていくのだろうか。今のところはまだ、その都度その都度考えなければならないことが出てきている。ゴールは見えない。

人間が「働かないと生きていけない」という呪縛から解き放たれない限りは、技術革新は進むし、新しいアイディアなどが生まれ続ける。より良い便利な世の中になっていくのだろう。

問題はその先なんである。誰もが「働かなくても幸せに生きていける」世の中になったら、人間の進歩は止まるんじゃないだろうか。止まらなくとも今よりもぐっとペースは落ちるだろう。

競争がなくなって進歩しない。社会主義みたいになって、それはそれで幸せな世の中にはなりそうだけど。

「働かなくても幸せに生きていける」の先にはきっと「死の克服」がある。人間が死ななくなったらどうなるんだろう。なんだかSFの話になってきたし、死なんて言い出したら暗くなる。ここら辺でやめよう。

 

平和な世界が やってきたら きっと
僕は退屈で 生きてはゆけないだろう

生きてはゆけないさ

SHERBET「きせき」

 

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