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家で淹れるコーヒーと習慣

日記 コンビニ

家で久しぶりにコーヒーを淹れた。僕はわりとコーヒーが好きなので、豆を挽くところからペーパードリップで淹れるんだけど、ここ最近は全くつくっていなかった。

なぜ久しぶりだったのかといえば、家ではホットコーヒーしかつくれないからだ。夏の間はアイスコーヒーが飲みたくなる。なので、家で淹れることがなくなり、飲みたい時はコンビニのアイスコーヒーで済ませていたのだ。

コンビニのコーヒーがイマイチだったら、自分でできるアイスコーヒーの淹れ方だったり、器具だったりを調べたりしたかもしれない。

そもそも、僕は豆から淹れたりドリップするようになってからまだ一年くらいで、日は浅い。コーヒーのいろいろな淹れ方を調べたり試したりしてもよかった。

だけど、コンビニコーヒーは値段を考えると美味しかった。もう、出先でも缶コーヒーには戻れない。手間をかけずにそれなりに満足するコーヒーが飲めたので、家で淹れることはなくなったのだ。

カフェに行くほどではないけれど、コーヒーが飲みたいって時は結構ある。僕にとっては、美味しいコーヒーを飲むにはコンビニコーヒーがちょうどよかったのだ。まあ引きこもり気味だからカフェは怖くていけないんだけど。

 


近ごろ寒くなってきて、コンビニでもホットを買う方が多くなってきた。ホットを飲むようになってくると、また家でもホットが飲みたくなる。スーパーで豆を買ってきて淹れることにした。

よく買っていた豆くらいは覚えていたんだけど、それ以外のコーヒーの淹れ方はほとんど忘れてしまっていた。忘れていることに自分でも少し驚いた。

コーヒーミルを分解して洗ったままで片付けていたから、まずその組み立てから時間がかかった。挽き具合をメモリで調整できるんだけど、どういう調整にしていたかも忘れていた。

自分の記憶の曖昧さを思った。ほぼ毎日やっていたことなのに、すっかり忘れてしまっている。それも、ほんの2、3ヶ月空いただけなのに。挽き方、分量、お湯を落とす感覚。

とはいえ、そんなに味の違いもわからないので、それなりに美味しいコーヒーを淹れられた。挽きたてはやっぱりいいね。挽き方や豆の分量はネットで調べた。

そのコーヒーを飲みながら、習慣の意味を考えた。

自分がなんでこうしているのか、疑問を持たずに、ただ習慣になったからやり続けていることってあるんだろう。

そしてそれは、なにかのきっかけですぐに忘れてしまうようなものなんだろう。


惰性ではないんだけど、無意識にその動作をやっていただけ。この分量でこの淹れ方が美味しいとか、試行錯誤していないので、自分の中に残っているものがなかった。家でコーヒーを淹れよう、ドリップして淹れようと決めたときに、器具を買ったりして、美味しく入れる方法などを一度はチャレンジしたはずなのに。なんとなく落ち着いてしまって習慣に組み込まれたまま、成長してなかった。

これからこだわっていけば、僕でももっと美味しいコーヒーが淹れられるようになるかもしれない。



家で豆を挽くと部屋はナチュラルなコーヒーのいい香りがした。コーヒーカップで飲むと、飲み口が狭いコンビニコーヒーよりも香りが楽しめた。

そのコーヒーはやっぱり美味しかったから、とりあえずは満足した。

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