不祥事を起こした俳優、小出恵介が奪っていったもの【シン・ゴジラ】

先日、地上波初放送となった庵野秀明監督の『シン・ゴジラ』は視聴率15.2%を記録し、まずまずの結果を収めた。

ところで、この映画で地上波放送に際してカットされたシーンがあるのはご存知だろうか?唯一カットされたシーンが、小出恵介の出演シーンだったらしいのだ。

 

小出恵介が奪っていったもの

小出恵介は今年2017年6月に不祥事が報じられた俳優である。未成年との飲酒および不適切な関係をすっぱ抜かれ無期限の活動休止になった。

売れっ子の俳優なので芸能界は多大な被害を受けたようだ。

ニュースになっていたのは明石家さんまプロデュースの『Jimmy〜アホみたいなホンマの話〜』というネットフリックスのドラマ。これは撮影も終了し、いざ配信というところでストップがかかった。さんま役を演じていた小出を変えて再撮影するのだという。この損害は計り知れない。

NHKの連続ドラマも放送中止になったようだ。第一話の放送の二日前にこの不祥事が判明し、お蔵入りに。『神様からひと言〜なにわ お客様相談室物語〜』というこのドラマは小出恵介主演だったらしい。

他にも映画が2本、CMやドラマなど対応に追われているようだ。

小出恵介 - Wikipedia

 

シン・ゴジラで唯一のカットシー

上記のドラマなどと同じく、『シン・ゴジラ』も地上波放送に際して配慮し、小出恵介の出演シーンがカットされた。

小出の出演は消防士のシーンで「ちょい役なのにこんな有名な人が!」枠だったので、物語の筋にはそれほど関与していない。ちょっとしたスパイスの部分であり、言われなければ思い出さなかったシーンだ。

だからいいっちゃあいいのだけど、でも小出恵介の出演シーンをカットしたおかげで、今回の地上波初放送では、ノーカット放送とは謳えなかったのだ。

映画がテレビ放送される時、宣伝文句となるのは「地上波初放送」だったり「ノーカット放送」だ。

映画はテレビで放送される場合、大体はテレビの時間尺に合わせてカットされる部分が出てくるから、ノーカットというのは価値があるのだ。

テレビだとCMうざいしちゃんと見たいからDVD借りて見ようと思っていたけどノーカットならまあ見るか、とか人は考えたりするのだ。

 

地上波初放送でカットもせずにいけそうだったのに、小出恵介の出演シーンをちょっとだけカットするだけでもノーカット放送とは言えなくなる。これは『シン・ゴジラ』のテレビ放送の宣伝としては極めてもったいないことである。

先週の『伊集院光深夜の馬鹿力』を聞いていたら伊集院がこのことを指摘していて、はたと気がついた。エンドロールはなかったし、テレビの放送時間は114分取っていたようなので119分の『シン・ゴジラ』がカットされたのは多分小出恵介出演シーンだけだろうと。

んで、見た人は「ほぼノーカットだからよかったよね」ってまあ普通に思うわけだけど、いい映画だから多くの人に見て欲しいという立場に立てば話は変わってくる。

「地上波初!ノーカット放送!」と歯切れよくテレビコマーシャルが打てれば、もっと大勢も人が見たかもしれないのだ。本当にもったいないことだと思う。

 

 

その高級品、優雅に見えるか下品に見えるかはその人の「育ちの良さ」次第

人生30半ばまで来て、しみじみと思うのは人間は育ちが大事だということ。狭い範囲ながら社会に出ていろんな人と関わっているとそう思うようになった。

どこかしっかりしている人はやっぱり幼少時代からちゃんとしていたのだろうし、幼少時代というと親の教育の影響を多分に受ける。ということは育ちだなあと思うのだ。

そうすると学歴を重視する社会というのはある程度は当たっている。育ちが良くないと、両親の学力がないといい学校にはいけない。

もちろん学力=社会で通用する、ではないし、頭の良さというのは様々だろうけど、大きな視点で考えるとそりゃ学力は重視するだろうなと。多様性が叫ばれる昨今、学歴社会は非難されがちだが正しいのである。

 

こんなことを考えていたのは次のツイートを見たからだ。

なるほど、とても共感するツイートだ。生活を丁寧にするというのは育ちということになると思う。本当に、高い服、車に乗っていても人が違うだけで安っぽく見えるというか、下品に見えたりする。

 

存在感というのか、立ち居振る舞いや言葉遣いなど、持ち物に左右されない優雅さというか丁寧さというか「素敵な感じ」を持っている人というのが稀にいる。若くしてこれを持っている人はやはり圧倒的に育ちがいいのだと思う。

 

今「若くして」と書いたが、この先40代はもはや育ちは関係ないと思う。あの素敵な人は育ちがいいから、自分は育ちが悪いからああはなれない、とか諦めなくていいと思う。

なぜなら「育ちは大切だな」と分かっているからだ。つまり、人のふり見て我がふり直せる猶予があるのだ。自分の育ちの悪さを修正していけばいいのである。

40代以上を見れば、「育ちが悪そうだな」と見える人はグッと減る気がする。これは世代がどうとかではなくてやっぱりみんな年をとるにつれて修正していくからに違いない。

それは環境にも左右されるだろう。子供ができて手本にならないといけないからとか、出世するためにはとか、いろんなことが影響しているんだろう。

少なくともこの僕でも「ああ靴は揃えなくちゃいけないな」とか「ハンカチ持たなきゃいけないな」とか「姿勢良くないとみっともないな」とか考え始めている。

 

slices.hatenablog.co

slices.hatenablog.com