アニメ『進撃の巨人』season2 終了。実は人間対元人間?『進撃の巨人』は漫画版ナウシカか?

アニメの『進撃の巨人』season2が終わった。12話しかないのであっという間だった。僕は原作を読んでいないので、アニメだけを見た視点で感想や今後の予想を書きたい。

 

今後の流れが示される

season1ではとにかく巨人の恐怖が描かれる。そして主人公たちは巨人に対抗するために調査兵団に入る。巨人と調査兵団の対立を描く。『進撃の巨人』の世界観の提示だ。

それがseason2では巨人は実は人間だったというところで話が終わっている。このように謎の一部が解明されたが、まだその先に謎がある。

そういえばseason1のラストで人類を守っている壁の中に巨人がいた。この謎が解明されると思いきや、未だ放置。その謎を知る司祭のようなおっさんがいたがそれほど言及することはなく、調査兵団を指揮している存在や国を統治している存在が出てこなかった。この辺りは腑に落ちない。

とはいえ今後の流れは、巨人の力を持ちなぜか烏合の巨人を操る能力に目覚めつつある主人公エレン側の調査兵団と、巨人になる力を持っているライナーやベルトルト側の組織との、人間対人間の戦いになるんだろう。

 

人間対巨人じゃなくて、人間対元人間?

season2の終盤の回でユミルの過去が明かされた話があった。これが物語の真実の根幹の一端に触れた話だったと思う。

孤児だったユミルは嘘がバレて捉えられ、裁きを受け巨人化する。つまり巨人化は、ある地域では重大な罰として扱われているのだ。

巨人化して彷徨ったのち、人間を食べたユミルは人間に戻り、自分の意思で巨人化できる存在になる。

ここから推察すると、巨人になる罰を受けても人間を食べれば人間に戻れるということ。つまりこれまで出てきた烏合の巨人たちは、人間に戻るために人間を襲っているということになる。

この展開はアツイ。『進撃の巨人』は人間対巨人ではなく、人間対元人間だったのだ。巨人の肩も持ててしまう。

けれども、エレンの母を食ったやつとか、人間を食った巨人が人間に戻っていないのでこの説は間違っているということになる。この辺はまだ謎だ。

 

進撃の巨人』は漫画版ナウシカか?

上で書いた僕の今後の予想は成り立ってはいないのだけど、いろいろ考えていると、エレンたちの主人公の調査兵団側と、ユミルやライナー、ベルトルト、獣の巨人側の対立は、ナウシカの漫画版を想起させた。

ナウシカではトルメキアという貴族っぽくてそれなりにいい暮らしをしていて人類の知恵で繁栄している側と、ドルクという古の怪しい術を使ってトルメキアを出し抜こうと目論む側の長い戦争が描かれる。

トルメキアは多大な軍事力を持っている。数の論理で余裕で世界を統治している側だ。

一方ドルクは住みにくい地での暮らしを余儀なくされているが、太古の昔から伝わる術などでトルメキアに対抗できるほどの力を持つ。その術というのは巨神兵だったりヒドラだったり、人の数や軍事力を無効にしてしまうほどの力だ。トルメキアからすれば全く予想外の力なのだ。

 

このナウシカの二項対立の構造が『進撃の巨人』に重なって見えた。組織的な軍事力という点ではエレンたち主人公側はトルメキアだし、巨人化する術という人類には理解できない力や、seson2のラストシーンの獣の巨人とその肩に乗るジョン・レノンっぽいやつの怪しげさはドルクっぽい。

でいてナウシカではどちらでもない第3勢力として描かれる主人公ナウシカはエレンかもしれない。エレンは巨人の力を持ちながら軍事力側にいる存在だからだ。

漫画版ナウシカでも主人公ナウシカ巨神兵を引き連れて戦争を終わらせようと奮闘する。

 

まあ巨人つながりで安易すぎるっちゃあ安易すぎるが、season2のラスト2話くらいで「ナウシカぽいなあ」と思った。

season3は来年2018年に放映するらしい。我慢するか、原作に手を出してしまうか、迷っている。

 

【古谷実『サルチネス』全4巻】苦痛と幸せのジュースの話が心に刺さる

古谷実の『サルチネス』を読んだ。この漫画は『行け!!稲中卓球部』や『ヒミズ』などでおなじみの古谷実の漫画である。古谷実の8作目、2012~13年頃に連載されていた作品だ。

この漫画は最近のリアル路線になった古谷実の漫画の中でもちょっと違う漫画だった。

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サルチネスってどういう意味?

また独特なタイトルがついているが、今回のは前作『ヒメアノ〜ル』のような造語ではないらしい。

英語表記は『Saltiness』。ソルト。そう塩だ。日本語訳は「塩味、塩辛さ、辛辣さ」などであるらしい。

この漫画はエキセントリックな引きこもりが社会的な自立を目指す物語だ。『サルチネス』とはその過程にある人生の塩辛さを表現したタイトルなのだろう。

 

あらすじ

サルチネス』は親に捨てられた兄妹の話だ。兄は妹のために人生を捧げてきた。そして妹が立派に育ったので自分の役目は終わったと考え、あとは死ぬだけだと思っていた。

しかしそれが覆され、社会的自立を目指していく、という話。

少々ギャグ要素もあって面白い。設定が似ているので、どことなく大人版の『僕といっしょ』という感じがあった。

 

基本的にはいい人たちばかり

古谷実の漫画だから、「どこで人が死ぬんだろう」とか「こいつは実は悪いやつかもしれない」とか想像しながら読んでいったが、この漫画に出てくる登場人物は基本的には悪い人はいなかった。

これまでの古谷漫画は普通で無害で無欲な主人公が行動を起こしてみたら災難も幸せも転がり込んでくる、といった類いのものだった。

それらと比べると『サルチネス』はちょっと違う。主人公がもうエキセントリックでこいつ自体がドラマになっている。

 

主人公の中丸タケヒコは20年以上住んでいる自分の家を山梨県とだけしか把握していないような大馬鹿ものである。人生のほとんどの時間を自ら考案したくだらない修行に当ててきた。

この男はとんでもない馬鹿者だけれど、このバカな男のセリフや行動にハッとさせられるものがある。馬鹿さ加減と純粋さ加減のギャップがすごい。

あるところではズレにズレているけれど、あるところでは本当に純粋で、その純粋さは正しいと思えるのだ。

 

苦痛と幸せのジュースの話

古谷実の漫画にはちょっと哲学的な問いというのか、人生について考えさせられるセリフがある。ちょっと抜粋したい。

「苦痛」を液体にしたモノ
味はまずい 最高にまずい
一気に飲むと死亡する可能性もあるので少量に分けて飲むことをオススメする

「幸せ」を液体にしたモノ
これはうまい 最高にうまい
一気に飲むも良し 少しずつ味わうも良し

この二本を各自が毎月必ず飲み干さなければならない
もちろんその量は人によって異なる

A君は今月「苦」が半分以下で「幸」が満タンだった

Bさんは「幸」が無しで「苦」が24本送られてきた

ちなみにこの二つを混ぜると「苦」になります
多少は薄まりますが基本的には「苦」味になってしまうのです

こんなエピソードが急に入ってくる。これは主人公と18の時から母親としか喋っていないという引きこもりとの掛け合いの中のエピソードだ。

「苦」と「幸」のジュースを混ぜたら薄まる、けれども味は「苦」であるというところがポイントだ。

引きこもりに対しては、ほんの少ししか「苦」がないのにそれを飲むのが怖いから大量の「幸」で薄めて飲んでいるのではないか?という問いが投げかけられる。

僕は一応は引きこもりではないのだけど、ビンビンきた。苦痛を和らげるために、その苦痛をまっすぐ受け取らずに逃げているときってある。というか、そんなことばっかりかもしれない。そういう時ってこのジュースのように、同時に幸せも無くなっているのかもしれないなあ。はあ。

 

おわり

まだ続けることもできただろうけど、『サルチネス』は全4巻でさっぱりと完結している。まだまだ中丸タケヒコの自立の旅は続くが、無駄なく終わっているという印象がある。

笑って泣いて考えさせられる、いい漫画だった。